ボーイスカウト日本ジャンボリー

今回は木更津から話題は離れます。私が活動するボーイスカウトは1907年イギリスでベーデン・パウエル卿が始めた自然・野外活動を中心にした、青少年のための社会教育活動です。大きな目的は、良き公民即ち社会に出ても通用する人間を育てることです。自分でも少年時代にこのスカウト活動をしていたことが、会社に入ってからも多いにためになったと思っています。世界中で約2600万人の加盟者があり、日本では約16万人が活動しています。
日本ジャンボリーとは4年に1回全国のスカウトが一箇所に集い日頃訓練した技術・チームワークを競う為の祭典です。今年は15回目で静岡県朝霧高原にて8月1日~9日まで約2万人の参加者で開催されました。私は大学4年生の時に第5回日本ジャンボリーが同じ朝霧高原で開催されたときに参加しました。翌年1971年に世界ジャンボリーが開催されました。今回はそれ以来の朝霧高原で開催です。全参加は仕事上無理でしたので、参加できないカブスカウトと共に見学に行きました。私が指導するベンチャースカウト(高校生)も7人参加しているので陣中見舞い兼ねてでの見学参加でした。場所は朝霧高原に近いフモトッパラキャンプ場でした。
東京・千葉では猛暑の続く中、現地では天候不順のせいも有り、初日は大雨の中での開会式だったようです。
私たちが到着した日も夕方は小雨、キャンプ場は田んぼのようなぬかるみの中でキャンプをしていました。
それでも皆元気に活動していました。翌朝は快晴で富士山はくっきり雄大な姿を見せてくれました。恐らく参加したスカウト達は生涯忘れられない思い出になることでしょう。
初日日本のボースカウトのメッカ 山中キャンプ場
指導者達
 昼食をとるカブスカウト
山中野営場
2日目朝 ジャンボリー会場で活躍する我が団のスカウト達
参加スカウト
ベンチャースカウト達
我がスカウト達
翌朝の雄大な富士山
朝の富士山
大会会場 この日は日本サッカー代表 岡田監督がゲストとしてスピーチ 元スカウトだったそうです
ジャンボリー大会会場
宇宙飛行士 野口聡一 さん(スカウト指導者)からのビデオメッセージもありました。
ジャンボリー会場
最終日はハイキング(陣馬の滝)
陣場の滝ハイキング
今回見学に行ったカブスカウト隊と一緒に
見学隊
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我が団OBが転勤先で指導者をする掛川の高校生スカウト2人も加わり、先輩としてプログラムのお手伝いして頂きました。感謝!!
帰りにアクアラインを通って帰りました。途中海ほたるに寄りました。なんと地元ブルーべりー観光園の仲間が
販売をしていました。ビックリ!!S隊長ワンパック買いました。そのまま冷凍庫に入れてアイスブルーベリーとして毎日食べているそうです。
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ボーイスカウト日本ジャンボリー」への3件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    チバノノムサン還暦も過ぎて古希への道すがら、田舎に泊まろう、「自然に還ろう」、ですね。人とのご縁の大切さ。某社社長も新人向け挨拶で、「人との縁(エニシ)」を語られた。
    ところで、いま、大蛇とジャンボリーのところを拝見。昭和34,5年ころ、カブ・スカウトとして琵琶湖畔の餐場野(アイバノ)世界ジャンボリーを訪れたのを思い出しました。三つの誓いの最後、「体を強くし、心健やかに、徳を養います」。ノム団長、これを地で行ってらっしゃる。
    ボーイスカウトの「スカウト」とは、捜し歩くという意味だから、種々身の回りに目を凝らして、気がつき考えた、雑感などを個人的に語る形式を取りながらも、実は、不特定の善男善女若人に向けて、「諸君、人生、ポジティブに捕らえれば、この上もなくいいものだなあ、周りをよく見てみようよ、人も物も生き物も」。(女性だけ見てちゃあダメだよ、そこの君(笑))というメッセージですね。プログ維持は資金的にも大変なことでしょう。
    それにしても、大竹林や夏木立ち前の広大な土(泥)には羨望しきり。庭すらない愚生などは、鉢植えのミカンやクチナシや藤に、ちょろちょろ水遣る生活、これじゃ見識も狭くなりますわなあ。 ところで、蛇の寿命はそれほど長いわけがないので、恐らく、代々、名家育ちの末裔でしょう。我が家はヤモリとトビ蜘蛛、絶対殺したりしません。ゴキブリとクマネズミとは徹底抗戦しますが。残暑の砌、ご自愛専一の程(各位)。では、ブログご紹介の御礼まで。三本指で敬礼

  2. SECRET: 0
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    お疲れ様でした。美しい富士を仰ぎながらのキャンプ気持ちがよかったことでしょう、今日はゆっくりお休みください[絵文字:v-363]

  3. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    記念写真だけを見ていると、40年前の富士西湖根場村の頃とそんなに変わらないなあ~と思ってしまいます。
    亡きN団委員長の言葉を借りると、貴公は熱血青年、私は紅顔の少年だったわけですが、あの熱くて広大な、ぬかるみだらけの、強烈な草を刈り取った匂いが充満するジャンボリー会場に足を踏み入れた瞬間の事は、やっぱり体に染みついているようです。
    当時の貴公の写真を見ると、びしっと半袖半ズボンの制服を着用し、おっかない青年将校のような顔をしながら足下はサンダル履きというアンバランスないでたちが、やっぱり鵜の森さんとコンビを組んでた確たる証拠…と笑わずにはおられません。
    カブ隊に入隊してすぐに、NJそして翌年はWJを生で見学できた自分らは本当に恵まれていたのですね。
    WJの時は天候不順で、会場見学は最終日に立ち寄っただけだったと記憶しています。松ヶ丘さんが参加してましたね。上半身裸で、あの特徴のある「おへそ」の印象だけが残っています。
    Asさんが頑張っているK2団とのコラボも成功され、また楽しみが増えたことと思います。
    50年、40年モノの爺が幅をきかせていますが、負けじと平成生まれの若武者達も、ドンドン自分らの世界を切り開いてもらいたいな~と40年前を振り返りながら感じた次第です。

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