早稲田の町と穴八幡

7月2日久しぶりにサークル(ボーイスカウト新宿2団)の団委員会と現役・OBのコンパがあり母校を訪問する機会を得ました。筆者は1967年から4年間大学に在学その後も何回も訪れていますが、穴八幡神社がある事は知っていましたが中には一度も入ったことがありませんでした。今回たまたま中学の仲間が穴八幡に行ってきたよという話を聞き、わざわざ千葉からお参り行くほどの神社かなと思い訪れて見ました。
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神社への階段
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この神社は徳川吉宗の時代流行った疱瘡の病気を治めるために流鏑馬を始めた場所なのだそうです。現在でもその伝統は残っているようです。全く知りませんでした。
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こんな立派な赤い山門がありました。
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そして大きな神社が鎮座していました。今思うと、当時新入生歓迎キャンプをこの境内でやったことがありました。そのとき筆者は参加していません。
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灯台もと暮らしでした。
そしてチョット懐かしいので通りを歩いて見ました。昔と全く様変わり。学校には行くがほとんど授業にも出ず夢中に励んだマージャン屋はほとんどありませんでした。何となく寂しい気がしました。やはり時代の流れを感じました。
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在学中は70年安保・沖縄返還闘争・学費値上げ反対闘争など学生運動が盛んな時期でした。2年生の時は学生運動家たちがバリケードを学内にはり、授業も出来ず学校が閉鎖になった事を思い出しました。民生(黄ヘル)・革マル(白ヘル)・社青同(青ヘル)・社学同(赤ヘル)など多くの派閥があり、よく学内でも内ゲバがあり、角棒が振り回されてけが人も多く出ていました。その際、大学創始者「大隈重信公」の銅像に青や赤のペンキが塗られ、一学生として腹を立てた記憶があります。でも今もしっかりと変わらぬ姿で立っていました。
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やはり学校のシンボルの講堂・時計台は今でもリフォームしていて当時と変わらない姿でそびえたっていました。
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やはり私達の心のふるさと我らが母校なのだと感じました。

早稲田の町と穴八幡」への1件のフィードバック

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    暑中お見舞いを書きたくなるような暑さが訪れています。早くも夏ばてしそうですね。
     穴八幡宮は由緒正しいお宮なのですよね。近くに4年間も通いながら1度も行かなかったなんて吃驚です。
    冬至から立春までの間に頂く’一陽来福’の御札が金運にいいそうですよ!私も期待しているのですが・・・
     早稲田の街を久しぶりに歩かれて、変わってしまった町並みをどのような思いで歩いたのでしょうか?
    40年の歳月の流れは大きく、街々が様変わりしてしまいます。・・・方丈記の冒頭が頭に浮かびます・・・
    私は青山あたりを歩いた時に、懐かしさと共に変わってしまった街に寂しさを感じ、また活気ある街のすがたに取り残された気がしたりしました。ビルの大きさに押しつぶされそうでしたが、この時代に負けないでもう少し頑張って生きたいと思いました。
    学生時代の思い出を大事に、これからももう少し頑張りましょうね

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