2年前のことですが、母が7月28日に亡くなりました。その際、遺体を母屋の奥の間に安置し、その日私が遺体とともに一晩明かしました。夜横になって線香を途切れさせないように番をしていると天井でガタガタ、ガタガタしました。多分ねずみか,住み着いている蛇かと思い放っておきました。その日はそれで終わったのですが、8月中旬にボーイスカウトの高校生4人が千葉から自転車で房総一周の為、中継地として我が家の庭でキャンプをしました。
シャワーに入るため母屋の応接室で順番待ちをしていました。その時スカウト達が、「隊長この壁の後ろでガサガサ音がしますよ、何かキューキュー泣き声が聞こえますよ」というので又ネズミか蛇がいるんだよキット、だからほおって置けばといったのですが、スカウト達は原因を追求したほうが好いですよ、ボクががやりますと高校一年生のスカウトが言うので原因追求をすることにしました。屋根裏に上って見たのですが見えません。仕方がないから、応接間の飾り棚の後ろで音がするので、棚の下の石膏ボードを金槌で叩いて割ってみると、なんとそこには狸の顔をした動物の子供が3匹もいました。皆びくっリしてその場を離れました。その高1のスカウトはボクが引っ張りだしますというので、ゴム手袋と長袖の作業服を着て、引っ張りだすことに挑戦しました。触るとその動物は「フーッっ」と威嚇するのです。その子は普段静かなおとなしいスカウトなのですが「この野郎!!」と気合を入れて尻尾をつかみ3匹取り出しました。大きなダンボール箱に入れてみるとそれはどうもタヌキの顔ではありません。調べてみたらアライグマでした。殺すのかわいそうだから、動物園に電話を翌日したら、環境省指定特定外来生物(侵略的外来種)なので引き取れませんといわれました。結局木更津市役所の農政課の人が引き取りに来ました。最近我が家の周辺にもアライグマやハクビシンがよく発生して農産物を荒らして被害が多いのだと言っていました。という事は我が家に親のオス・メスが住み着いていることが分かりました。
ダンボールに入れたアライグマ
下にもう一匹います。
その後の親の結末は続きで書きます。お楽しみに!!
月別: 2010年10月
郷土の千葉ロッテマリーンズ日本シリーズ出場 万歳!!
千葉ロッテはシーズンは記録は3位でしたが、クライマックス戦で強豪 2位西部・優勝チームソフトバンクを破竹の勢いで破り日本シリーズ進出を決めました。地元千葉のチームが頑張る姿に胸を打たれました。是非日本シリーズではセントラルチーム代表をこの勢いで制覇してほしいと願っています。 フレーフレーロッテ!!!
馬来田の秋(コスモスフェステバル)
コスモスが雨降り後であまり綺麗でないととのご意見もありました。我が家のそばに咲いている花を再度アップします。
毎年恒例になっている(コスモスフェステバル)が10月10日に実施されました。馬来田の山すそを流れる武田川の土手に沿ってこの時期になると、地元のボランテイアの方々の努力でたくさんのコスモスの花が開花します。最近ではJRの企画にも馬来田のコスモスフェステバルを歩く会があります。同じ場所に春になりますと菜の花ロードとなり、最近では都会からも多くの人たちが訪れるようになりました。JR久留里線(木更津駅~上総亀山)のローカルジーゼルカーに乗って田園の中を走り馬来田駅で降りていただくと、駅から歩いて10分くらいでこの地域にたどり着きます。残念ながら今年は午前中は大雨に見舞われ予定されていた行事はコンサート・式典などは出来なかったようです。
戦前から続く小さなマッチ箱のような馬来田駅(今は無人駅ですが、昼間はボランテイアの方が交代で切符を売っています)
駅の中には歓迎のポスターが貼られています。
駅を降りて左側にハイキングコースの看板があります。
コスモスフェステバルのポスターです。
その看板のわきに、万葉集の歌碑があります。これは当時この地域から九州に防人として派遣された人がうまぐた(現在の馬来田)を想い唄った歌だそうです。
意味が歌碑のとなりに解説されています。
そして駅の前の信号をまっすぐ行くと左側に公民館があり、コスモス開花ののぼりが上がっています。(公民館脇から駅に向かって)
公民館入り口を左折
まず少しですがコスモスが咲いて皆様を歓迎してくれます。
車道に突き当たると、お花一杯の「ハンの木」というコーヒーなどが飲める休憩所があります。そこにも歌碑があります。
そして右折し川の橋を渡るとコスモスロードの入り口です。
入り口からやや歩くと武田川の堰が見えてきます。
その堰から川の土手に沿いコスモスが一杯花を咲かせています。今日は雨が降った後なので花が少し重たそうです。また川の水も増水し色が茶色に濁っています。(残念!)
川の土手にも歌碑があります。
雨の為残念ながら今日のイベントは出来ませんでした。
さらにいくと栗の木がたくさん植えられています。
この道をまっすぐ行くと「いっせんぼく」「我がブルーベリー畑」につづきます。
駅に戻ってみると地元の人たちがテントを張って地元名産物を販売していました。雨でなければ会場で出来たのですが・・・・。残念ですね。
ブルーベリー協会も、ブルーベリー羊羹・ジャムや苗を売っていました。
地元役員の方も残念ですがそれでも多くの方にお出で頂きました。とパンフレットを見せてくれました。
我が畑側からの入り口です。
ついでに車のアンテナに止まっていた赤とんぼ(赤くないですね?)
皆さん、是非来年の10月10日のコスモスフェステバルには自然を満喫できる、この馬来田の地にお出でください。
その前に春には菜の花ロードで一面黄色になりますので是非お越しください。
馬来田の秋(イガ栗)
10月に入り大分秋らしくなってきました。秋祭りも終わり、気がついてみたら敷地内の栗の木が実がはじけて栗の実が落ちていました。近所の人たちも拾いに来ているようです。家の門の近くにある栗は半月前に既に取りました。早い品種なのでしょうね?今の栗のほうが実は小さめですが美味しいようです。
はじけ始めた栗の実
地面に落ちた栗の実
チョット拾い集めた栗
栗といえば我がの曾祖父(11代目)が残した短歌があり、我が家の家訓として伝えられています。
「待てしばし 手出しもならぬ イガグリも
みずから笑みて 落つる日もあり」 曾祖父の歌人としての名 容堂
私もこの言葉の意味をしっかり心に刻んで生きていこうと思っていす。
馬来田の秋祭り(本祭)
10月3日朝お祭りを知らせる花火が午前6時に、町中に轟きました。いよいよお祭り開始です。
孫の台 農協倉庫前に12:30に全員集合。出発前に本日参加する子供達で全員記念撮影です。
今日一日山車と引くこと・そして笛・太鼓を演奏することが大事な役割です。
これだけ多くの子供達が集まるのは孫の台地区のみです。他の地区では子供の数が少なく山車を引くことが難しいです。
総代・区長・実行委員長、孫心会会長で出発前の鏡わりです。タル酒で皆で乾杯をしていざ出陣!!<
まずは山車から
山車の後に笛吹きのグループが続きます。
山車には太鼓のグループが乗ります。
そして最後に威勢のよいお神輿が続きます
お神酒も入って元気がよいですね。
オット 女性のかつぎてもいます。
そして休憩所で一休み、振舞われたのは地元で取れたサツマイモ・ジャガイモ、焼き豚・フールーツなどです。」
今日は仕事で参加できなかった、テレビでも最近取材された、我が分家の叔母さんと息子さんを囲んで両総代と記念撮影です。顔が似ているとよく言われます。???当日観光バスのお客が入った芋畑の前で休憩。
休憩後出発、元気のよい女性も入って。
気合も入ってさらに勢いが出てきます。
通過する山車とお神輿
そして最後の目的地。東側の広場に集合。(昨日は西側の地区と)「東側の宿地区 八坂神社・南側の永井地区 子の神社のお神輿・山車が集まり交流会が始まります。
まずは孫の台地区が到着
続いて永井地区が到着
最後に真打、宿の大神輿が白装束で到着です。実は宿 八坂神社のお神輿がこの地域では一番大きく重たいみこしです。そして何故か衣装も白装束です。かつぎてが少なくなってきた昨今、神輿かつぎは負担が重いようです。
そして、各地区の参加者が全員で八神社の重い神輿をかつぐことが慣習となっています。正に共同作業です。
そして地域の婦人会の皆様が用意してくれた豚汁・揚げ物・お酒・ジュースを飲みながらしばし交流。
コスモスの花に囲まれた秋の村祭りを感じさせる和やかな光景です。
各地区の笛・太鼓のお囃子の披露と代表の挨拶。「地元が仲良くこのように交流できる事は素晴らしいことで、来年も又お会いしましょう!!」
そしてそれぞれの拠点に戻っていき無事、交流会はお開きとなりました。
我が地区も坂を上がって八幡神社に戻ります。すでに太陽も西に傾きはじめました。
八幡神社に戻ります。
神社に入る前に神社前を3周します。
最後にお神輿をもんで納めます。
夕日も落ちる頃、霊納めの儀式を行い無事お祭りはお開きとなります。
楽しかったお祭りもフィナーレです。今日一日頑張った参加者が農協倉庫前にシートを引き慰労会です。
関係者の皆様大変お疲れ様でした。
最後に三本絞にて無事打ち上げ・中締めです。
そして地元地区の明日をになう孫心会の皆さんご苦労様でした。。
来年もよろしくお願い致します
馬来田の秋祭り
村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛・たいこ
昔小学校の頃に唄った歌ですが、全国にはあちこちにお祭りはあると思います。私の住んでいる「木更津の奥座敷」と言われる馬来田の地域にも昔ながらのお祭りがあります。私の住む孫の台地区には、木々に囲まれた八幡神社があります。この地域には多くの神社がありますが、私達の八幡神社は1193年の村の神様として建立されたそうです。(おそらく1192年鎌倉幕府が成立した翌年ですから、源頼朝が石橋山の戦に負けて房総に逃れその後北上していく際に、この地域にも何らかの影響があったのではと思われます。)
この地域の神社としては一番古くに建てられた神社です。(馬来田村誌による)
つい最近までは、秋祭りは毎年9月29日となっていましたが、昔は農業従事者が多かったのですが最近では会社務めの方が多くなり、中々休みが取れず9月29日にちかい土日に行われることになりました。今年は10月3日にこの地域の神社が一斉にお祭りを行いました。心配された天気も、予報がはずれ青空の見える秋らしい気候の中で盛大に実施されました。その様子を紹介させて頂きます。
2年前に紳新築された八幡神社
2日明日のお祭りの準備が始まります。メインの道路に祭礼実行委員会の行灯や各家では提灯を用意します。
午後3時前お神輿を出し御霊入れの準備です。
神主様をお願いし、御霊いれの儀礼が始まります。
総代・区長・祭礼実行委員長・孫心会会長・役員の皆様が代表して神殿にあがりお祈りし榊をささげます。
安座(あぐらのかきかたを、始めて教えられました。列の真ん中は神様の通路として開け、それぞれの側に座った人はあぐらをかいた際、足の裏が神様の通らない外側に向けて座るのだそうです。
そして儀式が始まりました。
お神輿へ御霊いれの儀式
無事儀式が終了
実行委員長の発声によるお祭りの成功を祈って乾杯!!
神主さまと筆者
今年新しく作ったお賽銭箱
製作者のI藤大工さん。昨年まではダンボールでしたが立派な木箱が出来ました。
いよいよお神輿の出発・宮出しです。
いよいよ宵祭が始まります。笛・太鼓を積んだ山車が町中を、ドンドンヒャララと鳴らしながら練り歩きます。
宵祭では隣の地区の駅前の諏訪神社・茅野地区の羽雄神社と当八幡神社の山車が集合しお互いにその音色を交換します。そして明日はお互いに頑張りましょう!この日に備えて各地区との事前の打ち合せ・笛太鼓の練習・飾り付け、料理の準備など、実行委員会・区長をはじめとする役員の皆さん・子供達・孫心会(青年会??)、婦人会の皆さんの力を結集してこのお祭りが実施されます。町が一つになって行事が出来るという事は本当に素晴らしいことですね。
3神社がそろったところで地元八幡神社の総代(筆者)が、皆様にお礼のご挨拶をしました。また各神社の代表からもご挨拶がありました。
そしてお神楽のお披露目があります。最近ではその伝統を受け継ぐ人が少なくなり心配なところです。
地元の方が交通整理をしてくれます。地区の人たちが力を合わせてお祭りが実施されています。
交流会終了後公会堂に向けて戻ります。
地元公会堂に戻って、明日の本祭りの成功と、今日の慰労を兼ねてお疲れ様会です。
こうして近所の地区の方々とお祭りを通じて仲良く交流ができる事は素晴らしいことだと思います。
昔は馬来田村として同じ村内でしたが、その後富岡村と合併し、君津郡冨来田町と変わり、更に今では木更津市と合併し、馬来田と言う名前は、JRの馬来田駅と馬来田小学校しか残っていません。チョット寂しい気がします。
本祭は、別途の記事にします。