春の始まり。

東北地方太平洋岸大地震から早2週間が経過しました。被災された地域では、皆様大変ご苦労をされています。また多くの方々の命が奪われ、未だ行方不明の方も大勢おられます。ご冥福を祈ると同時に、早期復旧を心から願っております。先日もお伝えしたように、千葉市内埋立地域の液状化による道路・下水道等の被害も大きく、先週3月16日より、千葉市役所と私達千葉市建設コンサルタント協会が協力して、被害状況の確認作業を朝から夜9時過ぎまで行っています。資料の纏めは更に夜更けまで毎晩続いています。
真剣に千葉市の担当の皆さんと協会技術者が調査についての打ち合わせをして現場に入って調査をしています。
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地域ごとにグループを編成し、綿密な打ち合わせを。
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今こそ私達も頑張りどころ。短期間で調査を終え、復旧に取り組まなくてはいけません。
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そんな中、一日だけ仲間からお休みの日を頂きました。ふと我が家の周辺を歩き回って見たら、春が始まっていました。チョット心が休まりました。我が家の畑にも県の花 菜の花が咲き乱れています。
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私が蒔いた菜の花も看板の下に咲いていました。
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椿もまだ咲いています。
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ツクシンボもたくさん。
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ボケの花
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白い木蓮もつぼみも。今年はチョット襲いですね。
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この白い花はなんでしたっけ?そう雪やなぎですね。咲き始めました。
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今年も悩ましてくれたスギ花粉も漸くおさまって来ました。
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現場に行かれている皆様申し訳ありません。明日からまた頑張ります。

お別れ千葉・松ヶ丘のお家

現在会社の事務所として利用している千葉市内の松ヶ丘の家を諸般の事情により、平成3月末をもって手放すことにしました。この家は昭和25年に父が新聞記者をしていた時期に、県営住宅として入居して以来60年間に渡り自宅として住んだり、又他人に貸したりしてきた家です。昭和39年に現在の2階建て大きな家が建設されました。筆者にとっては、2歳~大学卒業まで(途中3年間は東京に住みましたが)育った家であり、会社勤めした際にも住み、その後平成16年から会社の事務所として使用してきました。自分にとっては、思い出のたくさん残る家です。
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この60年間の間に多くの関係者の皆様がここを訪れたことでしょう。特にスカウト関係者にとっても思い出があるのでは?
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昭和39年ごろは、この地域では御殿といわれるほど大きな家でした。この家が建つ前には、多くの親戚の皆様も
東京の学校に通うのに住み込んだり、宿泊したりしていました。懐かしの玄関です。
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大学入学のときとか、妹のガールスカウトの頃ここで記念写真を撮りました。
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今は感慨ひとしおです。特に母にとっては人生の中で一番好きな、また思いのある家だと思います。
本当に長い間お世話になりました。感謝。
尚会社事務所はJR蘇我駅東口徒歩1分の場所に移転します。

千葉市での地震の被害

3月11日(金)午後2時半過ぎに発生した、震度9.0の観測史上初めての大地震が東北沖で発生し、東北・関東にかけて被害を受けました。特にこの地震により発生した大津波が岩手・宮城・福島・茨城・千葉の太平洋沿岸地域に襲いかかり死者が既に1万人を越える方々の命を一瞬にして奪い取りました。被災程度が広い岩手県・宮城県・福島県の沿岸地域では町ごと破壊され未だ行く不明者が数多くある姿をみると、本当に自然災害の怖さを感じます。また福島県の原子力発電所の破壊・放射能の恐怖も日に日に明らかになっています。早く収まってくれる事を祈るばかりです。また被災されました方がたに心よりお見舞い申し上げます。
千葉県内陸部では大きな被害は出ておりませんが、それでも木更津我が家の庭の石灯篭が倒れました。重くて一人では元に戻すことが出来ません。
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地震による被害は、我が千葉市の千葉新港地区から幕張海岸地区の海岸埋立地には、液状化現象で道路・下水道・水道なども報道にはあまりされていませんが大きな被害を受けております。
千葉市より私が所属する千葉市建設コンサルタント協会に災害復旧の協力依頼があり、とりあえず被害状況調査の作業を受けて活動を開始しました。
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マンホールの周辺が沈下している状況.下水道も早急対応被害総延長11Kmだそうです。現在管路調査カメラで管内調査を実施中。その後44Kmも対応が求められています。
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今日(20日(日))午後第1回目の千葉市との打ち合わせを行い、当協会に所属する技術者がチームを組んで来週早々活動を開始致します。千葉市側の情報では道路で総延長42Kmの被害が発生しているとのことです。
電柱も傾いています。
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会議前筆者は現地の一部を下見をしてきました。
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道路にはクラックが入り、地面は隆起や陥没がありかなり被害はひどいです。
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私は技術者ではありませんが、本協会の会長という立場の為、協会災害本部長として自分で出来ることで全力を尽くしてお役に立ちたいと思っています。
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地域内の公園の被害調査も追加で相談を受けました。しかし、すでに東北方面・県内銚子市・旭市などに、人員を派遣している会社も多くあり、千葉市内での活動できる会社の人員は不足しています。出来る限りの対応をいたすつもりです。
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セブンイレブン前の歩道もぐちゃぐちゃです。噴出した砂が路面上に広がっています。
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このような情況が埋立地域一帯に広がっています。当然のことですがこれは目視できる道路の表面上の被害ですが
地下に布設されている下水道管・水道管もかなりの被害が想定されます。
協会員が一致団結して、千葉市とともに早期復旧に当たりたいと思っています。やはり、海岸埋立地は非常に怖い事を改めて知らされました。まだ余震が続いています。皆様「そなえよつねに」をモットーに十分気をつけてください。

冨来田ふるさと歴史講座

3月10日午後地元冨来田公民館主催の「冨来田ふるさと歴史講座」の皆様13人の方々、筆者の曽祖父秀吉翁(雅号 容堂)の歴史について学ぶ為、菩提寺の本立寺にある容堂公の石碑を訪ねたあと生家である我が家を訪問されました。
まず冨来田と言う地名は、昔私の地域は馬来田村といわれていました。そして隣に富岡村という村があり、町村合併で双方の名前を取り、君津郡冨来田町真里谷となりました。今でもそのなごりは残っており小学校は馬来田小学校・富岡小学校はそれぞれあり、中学校は冨来田中学校になっています。その後更に市町村合併により、現在では、住所は木更津市真里谷となりました。
秀吉曽祖父は当家の11代目の当主です。生まれは慶応元年(1865年)で昭和4年(64歳)に亡くなりました。
筆者は我が家の14代目になります。
曽祖父母の写真
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我が家を訪問され、是非曽祖父にまつわるお話をして欲しいと依頼されました。しかし私は昭和23年生まれですから当然のことながら、同じ年代には生きたことがありませんので直接的にはしりません。家に伝わるお話をさせていただきました。
幸い私の叔父(80歳)が退職記念として書類としてまとめて冊子にして頂いた資料がありましたのでその資料をもとにお話をさせて頂きました。その際、父の従兄弟になる方二人にも来てもらい補足説明をしてもらい大変助かりました。
我が家を訪れ挨拶する様子(父の従兄弟・もと高校の教師)
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我が家に上がってもらい、年表に沿って説明する筆者。
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略歴
慶応元年10月生まれ。
15歳まで漢学の大家であった嶺田楓江氏の格致塾で明治13年まで漢学を学んだとあります。。そして真里谷尋常小学校(現馬来田小学校)の初代卒業生として名簿に残っています。そして真里谷尋常高等小学校の訓道として教鞭をとられ、学校校舎新築に貢献されました。明治32年地元に株式会社「馬来田銀行」を創設・頭取となり地元地域のために貢献する傍ら君津購買販売組合長・馬来田実業倉庫社長を歴任し、馬来田村を中心とした農村経済の振興に務められたとあります。
当時の金庫の鉄製の重いトビラが残っています。
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明治33年馬来田村村会議員、44年に郡会議員、大正元年に千葉県議会議員をしており、県内「北厚南薄論」をとなえ県会で批判した。また現在のJR久留里線の元となる、木更津・久留里間の県営軽便鉄道の誘致をしたそうです。その後馬来田村の12代・18・19代と3期村長を務め村の振興に貢献したそうです。
教育に熱心で祖父(秀吉氏の長男)恵一郎氏も地元で初の東京大学経済学部・末の男子も東京大学を卒業させたそうです。恵一郎祖父も戦前・戦後を通じて3期村長をつとめまた2期県議会議員を務めていたそうです。
秀吉氏は短歌も好まれていたようで自作の歌が今でも我が家の家訓になるものとして伝えられています。
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「待てしばし 手出しもならぬ イガグリも 自ら笑みて 落つる日もあり」(以前にもこのブログで紹介すみですが)
また、旅行も好きだったようで明治の時代に伊勢神宮に行かれたときに書かれたもの(木製の板)が今でも残っていました。
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先日倉庫の掃除をしていましたらなんと火縄銃がでてきました。形からしてかなり古い感じがします。かなり重たい代物です。訪問者の皆様もこれに一番関心を示しました。
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更にアップしてみました。
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というわけで、皆様次の訪問先があったようですが1時間半我が家に滞在されました。最後に庭先で記念写真を取りました。
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私も何とか大役を果たすことが出来ました。

史上最大の地震

2011年3月11日(金)午後2時半すぎ東北・関東に観測史上最大マグニチュード8.8の地震(その後9.0に訂正)が発生し、それにより太平洋沿岸全域に大津波が発生、東北地方太平洋沿岸地域・房総半島に至るまで壊滅的な被害を受けました。死者・行方不明者が1000人以上今日(2日後)現在あり、また町・家屋・道路・農地・などなど多くの被害が発表されています。被害にあわれました方々・関係者の皆様には心よりお悔やみ・お見舞い申し上げます。
皆様の被害はいかがでしょうか?千葉県もかなりゆれましたが、特に太平洋沿岸の地域には津波が押し寄せかなりの被害が発生・また内房ではコスモ石油の火災・JFEの火災などが発生し報道されています。不幸中の幸いですが、千葉県の南部の地域では、かなりゆれましたが、大きな被害にはあいませんでしたし我が家も被害はありませんでした。。地震・津波の怖さを改めて知りました。まだ余震は続いておりますが、皆さん十分対策をこうじて更なる被害にあわれませぬよう気をつけてください。

ようやく春が・・・。

2月は雪・雨が降ったり、寒い日。暖かい日と変化の多い月でした。行事・イベント・様々な会で忙しくしているうちに終わってしまい、いつの間にか3月に入りました。ブログもその後更新できずにいました。すみません。
さて3月に入り、朝晩の寒さは厳しさをましていますが、昼間の日差しも暖かく感じるようになり漸く春の始まりかなと体感出来るようになりました。昨日久しぶりに、休んで家の倉庫の整理をしました。ふと庭を観察したら、春の息吹があちこちで見ることが出来、春の始まりを実感しました。
でも朝は霜柱がしっかりと立っていました。
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1月はこんな霜柱はなかったですね。都会ではあまりこうした風景は見られないのでは?
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裏庭の梅の花もそろそろ終わりに近づいて、花びらも落ち始めています。一週間前から今年初めて鶯の毛を聞きました。梅に鶯は花札でもつき物です。
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ふと、下に目を移すと蕗のとうが芽を出し、白い小さな花をつけていました。
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今朝はこれを摘みました。天ぷらにすると春の香がしますよね。
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つくしも芽を出し始めました。
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家の表に回ると、アジサイの芽も膨らんできています。
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土手には紫の小さな花も咲いていました。これは何の花でしょうかね?私は知りません。
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卒業式の声も聞こえ始め、新たな時期ももうすぐぐですね。回りも春の花がどのどん咲き楽しみな季節になりますね。