馬来田の里山の秋(いっせんぼくのハイキング)

今年は猛暑が71日間続き、日本観測史上初めての暑い夏だったようです。9月22日まで30度を越える暑い夏でした。彼岸の中日を過ぎて突然涼しい秋になりました。気がついたら我が家の敷地内にも彼岸花(万寿しゃげ)が咲いていました。庭にもいろいろ秋の様子を発見しました。
ちょうど蝶々が飛んできました。
0001.jpg
門の脇にあるざくろ木にも実がなっていました。昨年に比べ少ないです。天候のせいかな?
ざくろ
萩の花も
0006.jpg
千葉から仲間のご夫妻が遊びに来られたのでいっせんぼくまで一緒に里山を歩いて見ました。我が家の裏山の北側には田園地帯が広がっています。全く田舎の手の付いていない自然の谷津田・里山です。
0 009
田んぼの中のハイキングコース
0011.jpg
昔から流れる武田川の橋の上、ススキが咲いていました。(ここは1400年代に甲斐武田信玄の5代遡った武田信長がこの地に入り、この辺一帯を治めるようになり、奥に真里谷城址があります。というわけで武田家にちなんで武田川と言われています。)
武田川のススキ
またこの地は、昔はうまぐたと言われた地で、飛鳥時代からもうだ郡といわれ、一説では馬来田国造という天皇家の血筋の人がこの地を治め、豊な穀倉地として人々が暮らしていたようです。今でも万葉集にも歌が残っています。馬来田駅前や武田川にもその歌碑があります。
こらは大伴家持の歌碑です
万葉の碑
更に谷津田を水源地に向けて歩きます。
0016.jpg
0020.jpg
途中秋の草花が咲いています。
くずのはな
くずの花
あざみ
0022.jpg
名前は分からないが外来種の花だと思いましたが、これは「ツリフネソウ」だそうです。
外来種の花
ガマスミ
アザミ
ハンの木湿原 ここは湧き水がひろがって一帯にハンノキ・カラー・がまの穂などあります。ミニ尾瀬のような雰囲気があり地元ボランテアの方々で木道を作って来訪者を迎えてくれます。
ハンの木
ハンノ木
0025.jpg
湿原に棲息するカラー(ミズバショウのようです)
カラー
がまの穂
がまの穂
湿原に続く木道
木道
途中にさく野草
0029.jpg
いよいよいっせんぼく近くなってくると水も澄んできます。
澄んだ水
クレソンもありました。
クレソン
野アザミに蝶々も飛んでいました。
0032.jpg
いよいよ「いっせんぼく
いっせんぼく
そしてここが湧水地
みずがぼくぼく沸いている
童心に帰ってカワニナをとるご夫妻
カワニナを取るご夫妻
なんと昔はいなかったザリガニ・エビ・ダボハゼをご主人が発見、チョット心配。少し環境が変化してきたかな?
ザリガニ1
0044.jpg
帰り道 小学校を通って帰りました。途中見事な萩とコスモスの種類が綺麗でした。
0045.jpg
コスモス種(10月10日 武田川沿いに植えられたコスモスフェステバルが開催されます。出店やいろいろ音楽の出し物もあり多くの人たちが遠くからきます。春は菜の花ロードに変わります。久留里線馬来田駅から徒歩10分程度)
0046.jpg
最後に我が家の菩提寺 顕本法華宗 船目山本立寺に立ち寄りました。
本立寺
開祖 日汁上人が室町時代この地に立ち寄った際、ここについてきたカヤの杖を逆さに立てたものが大きなカヤの木に育ったと言われる由緒寺院です。こんなお寺にまつわるお話を見つけました。
さかさ杖の榧
 馬来田小学校の裏の本立寺は、日蓮宗のお寺で、本堂の左に大きな榧の木がそびえています。この寺は今から約六百年も前、足利将軍義満の頃かね、日什上人というりっぱなお坊さんが創建された寺です。 そのお坊さん、会津の国からはるばる安房の清澄山(きよすみやま)に行く途中、ここ船目の地に立寄り、日蓮聖人の言葉の「……我れ日本の大船にならん」の誓願をもって、船目山本立寺としたということです。
 そして携えて来た榧の杖を地面にさして、 「もしここが開祖日蓮聖人の意に合う所ならば、この杖は必ず根づき、枝葉をのばし、花や実を結ぶであろう」と祈願したそうだ。 すると不思議なことに、やがて枝葉が生え繁ったといいます。 それ以来、春の風、秋の雨の恵みをうけ、年を重ねて六百余年、緑の色は益々濃く、日什上人のお祈りは実現し、『さかさ杖の榧』と言われ、市民の信仰を得ています。

かやの木
約2時間の里山ハイキングでしたが、里山の秋の自然に心が洗われました。

クウェイトの思い出(アルコール編その2)

世田谷のオカチャンから投稿がありました。文章が長いのでアルコール編その2としました。
確かに国外から出張でクウェイトに帰国する際のお酒の持ち込みは緊張の瞬間でしたね。私も同じ気持ちで何回したか覚えてはいませんが、本当にどきどきしました[emoji:i-1]
厳密な星取表は記録してませんが、勝率7割位と思います。
その中で、非常に危なかったケースを紹介します。中東事務所長と一緒に出張しての帰国時のことです。当然しかるべき数量のアルコールを出張先で仕入れてのドキドキする税関検査でした。やはり、太めの男の検査官のブースを目指しました。検査官「何本か?」所長「1本です」検査官「そうか。1本だな。(穏やかな表情で)「次、おまえは」はい。といって1本(ウィスキー大瓶)見せると、(少し表情を曇らせて。)でも通常は一人各1本位は大目に見てくれる事が多いので、これでパスできるはずだったのが、鞄の中身を徹底的に調べられると、缶ビールがごっそり6缶ほど、発見された。検査官は完全に怒り、お前達は嘘を言った。1本と言ったのに(2本あった。更にビールも有る)悪質だ。空港から帰さない。」といって二人のパスポートを取り上げられて、検査官はすたすたと空港内の事務室の方に向かって歩き始めた。(多分上司に報告等)。これは大変と、所長は土下座せんばかりに「申し訳ない。悪かった。2度とこういうことはしない。許してくれ。」と謝った。私も同じセリフを繰り返した。余計なことは言わず、少なくとも4-5回は2人で同じセリフを繰り返したと思う。すると、検査官の足が止まり、こちらに向かい、5メートル位先からぽーんと二人のパスポートを投げ返し、如何にも汚らわしいといった表情と手先でしっしっと追い払う感じで、「早く行け」。パスポートを拾い、感謝の言葉もそこそこに、ウィスキーも全部鞄の中にしまいこんでそそくさと空港を後にした。つまり結果は勝でした。その後も、注意しながら、持ち込むスリルを味わい続けたのは言うまでも有りません。
実は、翌日に本社の役員の訪問が予定されており、所長のパスポートが無いと大変なことになっていた。ひやひやものでした。中東では、酒に限らず、結構こんな際どい話が多かったように思います。

ブルーベリー体験・実習・会議

9月のある日、ボーイスカウトの指導者仲間で、古民家とブルーベリーを有効的利用方法を研究する為、我が木更津のブルーべりー畑に集まりました。アウトドアでシンボルにになる欅の木の下に研修会場を作りました。
I田さん(パン教室の先生)の作って来てくれたブルーベリーパンと、K田さんが仕入れて来てくれた
ナッツ入りパンと、U田さんの作ってきてくれたおむすびを全員で食べ腹ごしらえ。
IMGP0321.jpg
今回の会場
IMGP0323.jpg
今回の参加者(当園サポーターの皆さん)
IMGP0324.jpg
入れ替わりもう1枚
IMGP0325.jpg
食後夕食の食材の買出しをしました。また今回の参加宿題は紙1枚自分のアイデアを纏めてくることでした。そして当園は今年は実をつけていないので近所の2園を訪問し農園を見学すると共に各園長さんにお話を伺いました。
まずはフルーツ街道園夢農場 既に時期が終わっており雰囲気を味わいS社長にお話を伺いました。
私達は植後5年した部分のブルーベリー畑を見学しました。
IMGP0326.jpg
まだ実は若干残っていました。
IMGP0327.jpg
完熟で甘いです。
IMGP0330.jpg
S社長に話を伺いました。今年は結構お客が来たようで、摘み取りはまだシーズンにもかかわらず実がなくなった為閉園とのこと。
IMGP0331.jpg
ここが会場
IMGP0335.jpg
ブルーベリーの先生 エザワフルーツランドに移動。E社長に説明を伺う。ここは10年前はただの竹林だったところを奥様と二人で当初は伐採をし、ブルーベリーを植え今では1800本の大農園になっています。現在は木更津の街お越しで「木更津市ブルーベリー摘み取り観光協会」を主催し、当地区には5軒の園が開園しました。我が畑も2年後には開園を目指しています。
IMGP0337.jpg
ここはまだまだブルーベリーがたわわになっています。種類はカナリありますが全て完熟で甘いです。
IMGP0339.jpg
IMGP0356.jpg
木ごとに皆味が異なり夢中で採っては食べました。
IMGP0341.jpg
摘み取りの成果です。これでジャム作りに挑戦します。
IMGP0343.jpg
ジャムも実が甘いので砂糖100グラムで簡単に5分で出来ました。
IMGP0344.jpg
IMGP0350.jpg
IMGP0351.jpg
IMGP0353.jpg
IMGP0354.jpg
出来上がったら煮沸消毒したビンにいれてふたをして冷えた水入れたらジャムのの出来上がりです。
IMGP0355.jpg
というわけで、皆さん沢山摘み取り、ジャム作りをして大満足をしました。E園長を囲んで最後に記念撮影。
IMGP0357.jpg
そして我が家の基地に戻り夕食準備。その前にカワニナが沢山いる谷間の湧水地「いっせんぼく」まで軽くハイキング。新鮮な房総の水がボクボク湧いています。途中ハンの木湿原がありミニ尾瀬のような感じです。
こんな素晴らしい自然があり、まさに田舎の田園風景は都会の方々にはす晴らしい観光資源・癒しの場になりますねという皆さんの感想でした。
夕食は名人丁田コック長による餃子・マーボ豆腐、それにサラダ、W田さんが自宅から美味しい煮物作って来てくれて、また自分の家で取れた葉しょうがを梅酢漬け・味噌漬けをつまみで夕方7時会食開始。まずはビールで乾杯し
その後ワインを飲みながらブルーベリー談義が続きました。
IMGP0358.jpg
なんと9人で(飲めない人2人)でビール12本(500ml)とワイン6本開けました。次は竹林を整備して綺麗な環境にしようということになりました。
IMGP0360.jpg
以下参加者のブルーベリー摘みの感想です。
I垣さん。
私の今回参加しての感想を箇条書きにしてみました。
1.<ブルーベリーのイメージ>
 私のブルーベリーのイメージはやはり、ジャムとかパフェにかけるソースのイメージでした。
 しかし、今回ブルーベリーがフルーツとして食べられて甘い果実※のということが、発見出来ました。
※品種によってはかなり酸っぱいのもありました。11種類以上もあることもびっくりです。
2.<ブルーベリーの販路拡大>
 最近の健康志向もあり、ジャム、フルーツソースは勿論であるが効能(表示は困難かと思いいますが)
 を謳い、ジュースとかドリンクなども面白いと思います。でも、私はそのままの果実が好きになりそうです。
 しかし、中々宣伝費も高価なのでいろんなイベント・バザーに出展し、理解(賞味)してもらうことも重要ですが、 口コミにて果実園に来てもらうことが命題ですね。
3.<ブルーベリー園について>
広大な土地に1800本のブルーベリーが植えられている景色を見るまでは、10分程度のトレッキンングがあり
年配の方には歩くのはチョットつらいかなと思いました。あと、どのような品種(味)がどの箇所で味わえるのか
味レイアウトのようなものがあればよいのかな?また、果実園の入口(道路側)には人手の問題もあるかと思いますが、ブル-ベリーを紹介するようなコーナー(直販、試食、ブルーベリー園map、写真掲示などなど
I田さん
木更津のブルーベリー、おいしかったですよ。
お日様によくあたって、大粒の一粒一粒がジューシーなことはもとより、お味も種類によって個性があり、用途によって、これは使い分けができるとおもわされました。
のどがかわいたら、冷たい炭酸入りのブルーベリージュース(ペットボトル入りでも)なんてのもよかった、ともおもいました。コンクのブルーベリージュースなんてのもいけるのではありませんか。
S原さん
想像していた以上にブルーベリー粒が大きく太陽の光をサンサンと浴びて育った実はとても甘くジューシーでした。たわわに実った実を頬張る醍醐味は最高です
T田コック長
私はブルーベリー摘みが始めての体験でした。ブルーベリーに色々種類が有り甘い物
酸味のある物、色々食べ比べました。その後ジャム作りは5分で出来ました。
夜は冷凍ブルーベリーで一杯飲んでいたら家内が来てすぐに無くなってしまいました。
朝食のパンに付けたら美味しくて1枚多く食べてしまいました。
ブルーベリーがこんなに美味しいとは知りませんでした。
W田さん 
私は今年3回目になりますが、8月上旬・中旬よりも9月の今の方が実が完熟していてずーっと甘いですね。

クウェイトでの娯楽(パーテイ編)

昔のボブさんより第2段の記事が届きましたの紹介します。
娯楽の少ないクウェートで夫婦が楽しめる行事はパーティでした。
日本人忘年会のような大きなパーティもありましたが、最も楽しかったのは数家族を自宅に招いてのホームパーティでした。招く側は料理だけでなく、お酒(ウィスキー)も用意してもてなしました。自家製ワインが披露されることもありました。奥様方はちょっとおしゃれな服装をして集まりました。
お腹もふくらんだところで、そろそろカラオケタイムです。椅子があっても大半の人はカーペットに座って話をしたりしていました。歌は大体ソロでスタートしましたが、そのうちドゥエット曲を夫婦が歌うこともありました。
スローな曲が出るとと、いよいよダンスタイムの始まりです。そろそろアルコールも回ってきています。よその奥様を相手に踊る人がもっぱらでした。べったりとしたチークダンスだったような気がします。終電の心配がないので、お開きは午前1時頃ではなかったかと思います。

クウェイトの思い出(アルコール編)

昔のボブさんから投稿がありました。本人の許可を得て記事として紹介することにしました。
クウェートでは日本人の間で「何勝何敗」という表現をすることがありましたが、これは野球などの勝敗を意味するものではありませんでした。海外に出てクウェートに戻るときに、持ち込もうとしたお酒(アルコール)を空港で没収されなければ「勝ち」、そうでなければ「負け」とした戦績でした。例えば、3勝0敗であれば、すごーいということになります。僕の場合は、通算で2勝1敗だったように思います。
1敗はカイロに出張した帰りでした。ウィスキーを買い、手提げ袋に入れ手に持ったままクウェート空港で荷物検査を受けたら税関にすぐさま没収されました。2勝は一回が家族でヨーロッパに旅行した帰りで、長男をベビーカーに乗せてクウェート空港で荷物検査を受けました。缶ビールをベビーカーのポケットに入れておいたのですが、上手く税関に気づかれず持ち込みに成功しました。もう一回はバハレーンに出張した帰りで、ウィスキー1本であれば税関は多めに見るらしいと聞いていたので、どうせ1本ならと最も大きな(1.5Lだったか)ウィスキーを買ってバッグに入れ税関もそのウィスキーを見ましたがOKとなりました。

酷暑の中でのゴルフ(クウェイト編)

今年の夏はひどい酷暑でした。観測史上初めての記録を更新しています。前回は酷暑の中での草刈りの記事を掲載しました。投稿の中に中東生活を思い出すとの話を頂きました。そこで私も約30年前にクウェイトに1979~1981年に駐在していたころ、酷暑の中ゴルフをして楽しんでいたことを思い出しここに思い出を書く事にしました。クウェイト国はアラビア湾(ガルフ湾)の一番奥に位置し、面積は岩手県と同じほぼ広さで人口は当時150万人(内純粋クウェイト人50万人、他はアラブ人、インド、パキスタン、韓国など外国人労働者)の国で主たる産業は石油生産・精製でした。建設ラッシュでしたので外国人労働者がおおぜいいました。気候は3月から10月まで全く雨は降らず夏場は50度を越える日々が結構続くというまさに乾いた気候環境にあります。そんな中家族ともども駐在をしました。夏場といっても4月か5月からかは忘れましたが、10月?くらいまで夏時間帯での勤務で朝7時~午後2時まで仕事をしていました。
クウェイトの町は日中50度を超えると外での労働は禁止されていました。またクウェイトは敬けんなイスラム教の国でしたのでアルコールは一切禁止、豚肉も禁止ということで娯楽のない国でした。私が赴任した時の所長はゴルフが好きでした。事務所のあるクウェイト市内から車で東に約1時間行ったところにアハマデイという製油所があり、もともとその製油所を作ったイギリスの石油会社BPが、娯楽のために砂漠(土漠・・・サラサラした砂のイメージではなく乾いた土が固まった状態)にゴルフ場を作りそこで楽しんでいたようです。普段は日本人には貸してくれないのですが、ウイークデイには使わせてもらっていました。午後2時に仕事を終えると、所長がサア行くぞ、着替えろと言われて事務所で短パン・運動靴(底は模様のないもの)・タオル・水筒・ゴルフセットを持ってゴルフ場に直行。午後3時半くらいにはスタートできたと思います。ゴルフ場は18ホール緑はユーカリの木くらいしか無く、砂漠にタールをまいて作ったフェアーウェイ、そこを外れるとラフでこれは砂漠のままでほとんど転がらない状態です。テイショットを打ってフェアウエイに転がれば持参した30センチ四方の芝のマットを使って打てます。ラフに入ると使えません。バンカーショットと同じで飛びません。ナイスショットをしてもフェアウエイにある石ころに当ってラフに飛び出てしまう事は日常茶飯事でした。何とかグリーンにたどり着くと色はブラウン即ち芝ではなくて、グリーンをまねてコールタールを固めその上にサラサラの砂をまいて整地したものです。感触はかなりグリーンに似ています。でも足跡は付きますし、ボールも転がった跡が付きます。したがってホールとボールの間を歩くこことは禁止でした。(という訳で運動靴の底は模様の無いものを使用)しかし同じラインにボールがあると次の人はラインが読めました。ホールのプレイが終わるとインド人??らしき人が野球場ので使うトンボで靴の足跡・ボールの跡など荒れたブラウンを整地していましたね。4時過ぎても気温は40度ははるかに超えて、湿気ま全く無くサウナのような状態でした。キャデイはいませんから自分でトローリー引いてプレイ、途中休憩所もありませんから持参の水筒で冷たい水を飲みながら一気に18ホールプレイをしました。勿論汗はたくさんかきますが、外気に接している体は水分が蒸発して塩が吹きます。そんな厳しい状況下でのゴルフでしたが、私たち駐在員とっては楽しみな娯楽の一つでした。プレイを終えてハウスに戻った時の冷たーいオレンジジュースは本当に幸せな気分でした。(ビールが飲めたら最高ですが残念ながらアルコール類は全く入手不可能)そんな生活をしてきましたので、日本の今年の酷暑でもさほど気になりませんでした。ただ湿気が多い分辛いですが、今思うと皆よく熱中症にかからなかったものだな?と思います。今回は文書のみですが、これを見て当時の事を思い出す読者もいるのではと思います。ご要望があれば、自然・生活・仕事・文化・スカウトの話とかをまた書きます。ご意見や思い出を聞かせてください

ついでに思い出しました。当時日本人仲間でよく歌った歌を「ホルムズ海峡砂景色」です。
1)成田発の夜行便を降りたときから クウェイトまち砂の中
  街を歩く人のむれは誰も無口で  ひげづらばかり見えました
  私もひとり連絡便にのり     眠たそうなラクダ見つめないていました
  アーアーホルムズ海峡砂景色
2)ごらんあれがオマン岬南のはずれと 見知らぬアラブ指をさす
  湿気にくもる窓のガラスふいて見たけど はるかにかすみ見えません
  さよならあなた クウェイトに゙帰ります 砂の音が胸ゆする泣けとばかりに 
  アーアーホルムズ海峡砂景色

  (元歌はアブダビのようです。アブダビは湿気が多いですがクウェイトは湿気はありません。念の為)
  

酷暑の中の草刈り

道路きわを刈ったところです。
IMG_0102.jpg
9月3日午前中ギラギラ照りつける太陽の下、ブルーベリー畑の草刈をしました。とても一人では無理だと思い会社の親戚の人と近所のおじさんを頼み3人で行いました。夏休みはいろいろ忙しくて約1月草刈が出来ませんでした。そしたらいつの間にかブルーベリーの苗木は、草に埋もれてしまいました。いやいや暑いこと何のって汗ビショビショTシャツ3枚変えました。熱中症寸前でした。ブルーベリー育てるのも簡単なことではありませんねー???
IMG_0103.jpg
直射日光で顔がひりひり焼けるようでした。
IMG_0107.jpg
おじさんたちも必死です
IMG_0109.jpg
そしてこの夏でここまで育ちました。5本枯れてしまいました。
IMG_0110.jpg
来年は少しは実をつけるかな?楽しみに!!

圏央道を中房総地域の発展につなぐ為のフォーラム参加

NPO法人長生まちづくりスーテーション(大柿理事長)主催のフォーラムが8月28日茂原市役所市民室でありました。このフォーラムは圏央道を地域の発展につなげるよう方策を考えようと企画されたものです。
この主催者大柿理事長は父が以前主催していた「財団法人 千葉地域科学研究所」の長生支部長として活動されていた方で、長生支部を発展的に同上NPO法人にして立ち上げたものです。大柿理事長から連絡を頂き、当日は父の命日にも当たるので是非出席して欲しいとの依頼があり、かずさ支部(棚倉支部長・現在も細々と活動を継続)のメンバー6人と参加しました。基調講演は元金融担当大臣・元城西国際大学学長の柳沢伯夫氏の講演があった。
その後パネリストとしてやはり昔地域科学の研究所の会員だった佐久間市原市長・志賀東金市長など近隣の市町村長が参加しパネルデスカッションが行われ「各自治体と連携をして観光振興を行いたい」などと活発な意見が交換された。また県道路計画課長より圏央道の建設状況の説明もあった。我が木更津の奥座敷も既に木更津東ICが運用開始となっており都心から車で30分で来られるようになっています。
大柿理事長の主催者挨拶
IMG_0080.jpg
森英介衆議院議員の来賓挨拶・左端はもと京葉銀行頭取 吉成儀氏(促進県民会議会長)
IMG_0082.jpg
県道路計画課長より説明
IMG_0085.jpg
柳沢伯夫元金融大臣の基調講演
IMG_0087.jpg
柳沢元大臣と記念撮影(かずさ支部参加者と共に)右端が大柿理事長
IMG_0090.jpg
志賀東金市長と久々に再会
IMG_0093.jpg
パネルデスカッション(右端が大柿氏、ついで佐久間市原市長)
IMG_0095.jpg
私もたまには勉強しています。