10月10日筆者の友人で折り紙の先生をしているKTさんの誘いをうけ、かずさアカデミアパークにあるホテル オークラに花の折り紙展をのぞいて見ました。
受付です。ギャラリーホールでしたが位置的にかなり離れていて会場を探すのに一苦労でした。折角の素敵な作品なのでもう少し好い位置ならより多くの人に見てもらえるのにと思いました。
お花も折り紙でこんな素晴らしい作品が出来るのですね?感心しました。
木更津の名物「証誠寺のタヌキ」の作品も。
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他にもいろいろな作品が。
なでしこジャパンのタイトルの作品もありました。
車の中で使ったら良いという消臭剤の入った素敵なブーケもありました。
Tさんに一つ作品を頂き早速車に飾りましたもっと多くの人が見てくれると良いな思いました。KTさんありがとう。
月別: 2011年10月
(続)馬来田のコスモスフェステバル
様々な色のコスモスの花が咲き乱れています。
駅前を出て久留里街道(旧)を横切ってまっすぐ行くと左側に公民館があります。
玄関脇にある槙の木は昔役場が我が家の近くにあった頃、曽祖父(祖父が村長の頃?)が植樹したものが移植されたと地元の人に聞き驚きました。今頃では知っている人もいないと思います。(右の木)
公民館に入ると地元の歴史が分かる展示物があります。歴代の村長の写真も展示されています。
公民館を出てすぐ先を左に曲がります。ちょっとした路の駅(綺麗な花を生けています。クリスマスはとても綺麗にイルミネーションを飾っています)があります。美味しいコーヒー・ケーキがいただけます。
そこを過ぎると橋があり、川沿いに上がっていくとコスモスロードです。
そこらあたりからコスモスが咲いています。
堰のそばにイベント会場があります。
地元の各地がテントを張り美味しい食べ物や地元産のものを売っています。震災を受けた宮城の缶詰も売っていました。
我が地域、孫の台地区の仲間も頑張っていました。お祭後1週間ですから準備も大変だったと思います。
コンサート会場ではキーボードの演奏をしていました。
好天に恵まれた為多くの来訪者でにぎわっていました。
地元冨来田中学校の生徒も出店していました。
隣の会場では野点のお茶や俳句を作るコーナーもありました。丁度休憩中です。
俳句コーナー。
来訪者によって作られた俳句も展示されています。
地元市議の先生(万葉の碑を作る会の会長)も先頭になって石碑の万葉の歌につき来訪者に説明をしていました。
この日は特別武田川にボートを浮かべ、中学生がこぎ手になって来訪者を楽しませていました。
さらに行くと地元の出店がありました、
我が地区で取れた枝豆や茄子の漬物を販売していました。
こんな量の取れたての枝豆が一袋500円だそうです。新鮮で安いですね。
裏で休憩する地元の孫の台の皆さん。
こんな素敵な色のコスモスも。
田舎道を散策する来訪者の皆さん。
コスモスが途切れるといっせんぼくへの路です。川岸の田舎道にも秋を感じます。
橋を渡るとココにも万葉の石碑があります。
ススキが里の秋を秋を感じさせてくれます。
まだしばらくコスモスは咲いています。一度お出でください。また来年は10回目のコスモスフェステバルが開催されます。距離にして1KMくらいです。気軽に散策ができます。車でお出での方には橋のそばに無料の駐車場があります。是非一度里の秋をお出でになって里の秋をお楽しみ下さい。
皆さんお疲れ様でした。
馬来田のコスモスフェステバル
10月9日(日)秋も次第に深まる中、JR東日本企画の今年で9回目のコスモスフェステバルが開催されました。昨年は大雨がふり様々なイベントが中止になりましたが今年はさわやかな秋晴れの中開催されました。多くの来訪者が武田川堤に咲くコスモスを満喫していました。
先日降った大雨にも負けず綺麗に咲き誇ったコスモスの花。
JR久留里線で木更津駅から田園風景の中約30分レトロなデイゼル列車(県内のJR線として唯一残るデイゼルカー)で馬来田駅に到着します。
こんな色が今の列車です。
列車の横には素敵な久留里線のデザインマークが入っています。
駅を降り立つと、小さな駅舎、改札口も昔のまま。普段は地元のボランテイアの方々が駅を管理しています。
戦中はこの駅から多くの人が出兵していきました。我が家にもその写真が残っています。
この久留里線も来年開通100年を迎えるのだそうです。
駅の前には本部テントが置かれ受付や地元の物産やコスモス・菜の花の種が配られていました。またふかし芋のサービスがありました。
ふかし芋の無料サービスも。地元産のサツマイモとても美味しいです。
駅の横にはハイキングコースの看板があります。
今日は時間が無いので、コスモスフェステバルは後日掲載致します。
馬来田の秋祭り
今年もにぎやかに秋祭りが10月3日馬来田地域全域で開催されました。昔はまだ農業が地元産業が中心だった頃、お祭は稲刈りが終わった9月29日と決まっていました。筆者が子どもだった頃はそうだったと思います。当時は我が孫の台地区にはお神輿は有りませんでした。平成63年40歳で地元に帰ってきたときには既にお神輿もありました。またお祭の時期も農業中心から勤め人も多くなり世の中も変わり、お祭の時期も9月29日に実施する地区・またその前後の日曜日とする地区も出てきました。その後各地区の有志が相談し、同じ日にお祭を地域一斉に実施することになりました。
我が孫の台部落(約180世帯)の八幡神社は、新しく移住されてきた人々も多く組織も従来の地元氏子制度から、3年前くらいから地区の神社として地区の町内会で管理・運営することになりました。(資産も宮元の所用から、地区の資産として寄付されました)
今年は10月3日本祭、2日が宵祭となりました。地元の祭実行委員会が9月に入り本格的に準備を始め、また隣接する神社とも調整会議を行い、今年も地域あげてのお祭が実施できました。
まずは前日、八幡神社にてお神輿・山車に御霊移しの儀が、神主にお願いし行なわれました。このとき筆者はカメラを家に忘れ撮影が出来ませんでした。18頃宵祭の山車のみが、地区内をお囃子と太鼓を乗せて練り歩きました。
これは昨年撮影したものです。今年は神社の隣に新しい山車小屋が建設されています。
しばし出陣を待ちます。
夜のとばりもおり暗くなり始めた頃、いよいよ農協倉庫から宵祭に向けて山車が出陣します。神輿は若手のかつぎ手がいない為今年は翌日に出陣・今日は公会堂で一夜を過ごします。
各家々には地元で作った提灯と各家の提灯が彩りをそえ、お祭の雰囲気がかもし出されます。
ココで地元で作成した提灯の一部を紹介します。表面には楽しい川柳が書かれています。
自分でも感じるものが有りますね。
なかなかユーモアにあふれた提灯ですね。これは我が地域だけのような気がします。
こうした提灯が各メインの通りの家の前に祭礼実行委員会の方々が事前に準備し、山車出陣の前にローソクをつけて回ります。
そして宵祭は、我が地区の駅側に隣接する地区の神社 駅前の「諏訪神社」・茅野の「羽雄神社」との交流会がその地域の接点の近くにある中村医院(大先生は二人の総代の一人)の駐車場にて開催されます。3社合同でその時間帯に集まってきます。
まず交流会開催にあたり地元八幡神社の総代の一人である筆者がご挨拶をしました。(昨年は大先生でした)
その後各神社の得意の演技を交歓します。まずは昔は3村社の一つであった諏訪神社の勇壮なお諏訪太鼓の披露でした。日頃から練習をしている為かなかなか素晴らしい演技でした。
そして三大村社の一つ「羽雄神社」の獅子舞の披露。
お囃子の演奏。
横に立てかけられた白板に歌詞が書かれていました。この由来は筆者には分かりません。後日尋ねて見たいと思います。
地元の人もおおぜい集まります。
最後に八幡神社のお囃子の演奏。(笛は主に女性達・太鼓は毎年夏休みが終わると地元の子ども達が、地元の先生から指導を受けこの日のために練習を毎日してきました)
各神社にはどこでもそうだと思いますが独自のそろいのハッピがあります。
諏訪神社
羽雄神社(白ハッピ)
八幡神社
こうして和やかな雰囲気の中で3社の交流会が行なわれ、お開き後各神社に戻ります。
無事宵祭の行事を終えることが出来ました。その後孫の台公会堂で、明日の本祭を祈念して宴会が開かれました。婦人会の皆さん・そして実行委員会の皆さんが会場・食べ物の準備をして頂きました。
いつもありがとうございます。
さて本祭の当日12:30に山車・お神輿がでて地元にはお祭ムードが盛り上がります。今年筆者は当日所用があり参加することが出来ませんでしたが、地元のO様から写真を頂きココに当日の様子を紹介させて頂きます。
まずは出発地農協倉庫前で、出陣式。鏡割りを祭礼実行委員会役員・区長・総代・孫心会の代表で行ないました。
お神酒で乾杯を行い景気付けをしいざ出陣!!
山車を引く子ども達も勢ぞろいです。この地域では一番数が多かったようです。
神輿も元気良く町に繰り出します。今日は若い人たちも揃い威勢もよいです。
続いて山車も繰り出します。
我が家の前を通過するお神輿
装いを代えてお囃子隊
続いて山車も。
この後、東側に隣接する宿地区の八坂神社、永井地区の子の神社の神輿・演技の交流が行なわれました。
このように地元の人々が一つになって、盛大にお祭ができる事は素晴らしいことだと思います。特に都会の新興住宅やマンション住まいの人と人との関係が希薄になってきた世の中に、是非こうした田舎の暖かい心の交流が出来る行事が今後も永く継承されていく事は大事なことだと思います。
八幡神社 山車小屋移設・新築
地元木更津市馬来田の孫の台地区にある八幡神社は2年前に江戸時代に立て替えられた社殿を地元地域の皆さんのご協力により新築されました。元は1193年に(鎌倉幕府開府翌年)村の鎮守として建立されました。
この馬来田の村(旧)地域では一番古い神社です。(昭和初期に尋常小学校の教科書として使われた・馬来田村誌による)その後の歴史は良くわかりませんが江戸時代中期に建てられたものが今まで使われてきましたが、地元有志の皆さんが中心になって地域の住民の皆さんに声を掛けご協力を頂き装いも新たに建立されました。地域内の大工さん、土工関係の皆さん、金細工等のみなさんの協力を得て建設をされました。
その後、敷地内の整備・山車小屋についても、修復整備したほうが良いとの声があり再び地元の大工さんの力を借りてこのたびお祭の一週間前に完成いたしました。2011年9月25日完成披露とお祝いの会が開催されました。
新しく移築・新築された山車小屋です。皆さんの協力の賜物です。
また神社敷地内も、整備され境界まで綺麗に土留め整地され広くまた使い易い神社となりました。
ココで2月にドンドン焼きも行なわれます。
お披露目をする地元の皆さん
これからも是非神社を大事に、また地域の鎮守様としてこの伝統を次の世代につないでいければ良いと願っています。やはり人間関係が希薄になってきたこの時代に神社を通して人の和が広がれば良いと思います。