クウェイトの思い出(アルコール編)

昔のボブさんから投稿がありました。本人の許可を得て記事として紹介することにしました。
クウェートでは日本人の間で「何勝何敗」という表現をすることがありましたが、これは野球などの勝敗を意味するものではありませんでした。海外に出てクウェートに戻るときに、持ち込もうとしたお酒(アルコール)を空港で没収されなければ「勝ち」、そうでなければ「負け」とした戦績でした。例えば、3勝0敗であれば、すごーいということになります。僕の場合は、通算で2勝1敗だったように思います。
1敗はカイロに出張した帰りでした。ウィスキーを買い、手提げ袋に入れ手に持ったままクウェート空港で荷物検査を受けたら税関にすぐさま没収されました。2勝は一回が家族でヨーロッパに旅行した帰りで、長男をベビーカーに乗せてクウェート空港で荷物検査を受けました。缶ビールをベビーカーのポケットに入れておいたのですが、上手く税関に気づかれず持ち込みに成功しました。もう一回はバハレーンに出張した帰りで、ウィスキー1本であれば税関は多めに見るらしいと聞いていたので、どうせ1本ならと最も大きな(1.5Lだったか)ウィスキーを買ってバッグに入れ税関もそのウィスキーを見ましたがOKとなりました。

クウェイトの思い出(アルコール編)」への2件のフィードバック

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    そういえばそんなことがありましたね。私はバクダッドにイラク・イラン戦争のさなか、車でクウェイトからバクダッドまで陸路800KMを上司の方や、後輩の社員と行きましたね。高速道路は無くて往復2車線を朝6時に弁当を妻に作ってもらって、途中砂漠の中のナツメヤシのある辺りで留めて食べ、バグダッドに着くと夕方6時ごろでしたね。途中戦車・戦闘機の残骸が転がっていたりして本当に今思うと命がけでしたね。帰りに車の座席の下にウイスキーを持ち帰ったことがありました。
    小学校の学芸会で、子供達が演じた劇の中で、子供のリックの中にウイスキーを入れるシーンがあって、先生や親達はビックリしたことがありましたね。

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    私は9勝1敗でした。
    昭和53年6月から昭和55年1月まで、カイロ・アメリカ大学で語学研修生として
    アラビア語を勉強していました。
    2ヶ月に1度、クウェートにある中東事務所に、給料受取り(カイロの銀行で外貨を
    受け取るのは難しかった)、研修レポートの提出、元気な顔を見せるのを目的に
    出張していました。
    出張の都度、サムソナイトの大きなケースに、缶ビール1ケース(24缶)を隠し
    持ち込むというのも大きな仕事でした。
    当時、ブラックマーケットでジョニ赤1本が2万円位でした。
    缶ビールは嵩張るし、リスクも大きいのでブラックマーケットでも流通していません
    でした。ビールは、日本大使館の関係者宅でしか飲めないという状況でした。
    巷で、女の検査官はダメ、太った男の検査官の方が通りやすいと言われていた
    のですが、正にその通りでした。私の1敗は、正に女の検査官で、すぐその場で
    没収されてしまいました。
    一度、クウェートの駐在員がカイロに出張してきて、カイロでカラスミが手に入るというので
    ナイル河沿いの店を一緒に探してカラスミを見つけたこともありました。

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