2月6日(日)君津市文化ホール中ホールにて第2回わいわいコンサートを80歳を越える父方・と母方の叔母さんを連れて見てきました。500席の観客席は来場者で一杯、中々盛況でした。今回のイベント実行推進者はミュージックセラピスト協会の会員の皆様でした。そもそもミュージックセラピストなるものは、一般的には良く知られておりませんが、実は私が所属する千葉市建設コンサルタント協会10周年記念式典が昨年12月千葉市で開催されましたが、その際に二人の方にピアノでバックミュージックをお願いしたご縁もあって今回お邪魔しました。
知的障害者・精神障害者などを、音楽を通じて楽しい世界を作り出し生き甲斐やいきてる喜びを与える為の音楽療法のようです。昨年全国的な会が発足したようで、たまたま私の叔母(父の妹)が早くからこの勉強をして、協会代表になり立ち上がったようです。音楽を学んだ音楽家の方々がその素質を発展させ、さらに恵まれない障害者のために活躍されているようです。今回このコンサートに初めて参加してみて、本当に心からその方々の面倒を見ている姿をみて頭が下がる思いでした。参加した障害者。お年寄りが会場一つになって音楽を楽しまれていて、よかったなと思いました。
司会進行をする笠島協会代表
大漁節を歌う方々
障害者を心からお世話する大西さん
開会後次々に様々な音楽が披露されました。
来場者の人たちもともに舞台に上がって音楽を楽しみました。
日本でも有名な打楽器奏者の先生も応援に駆けつけてくれました。
参加団体の一粒舎の皆さんのハンドベルもハプニングはあったもの素敵でした。この一粒舎の皆さんは私の地元馬来田でブルーベリー園「くらり」をやっています。「エーデルワイス」でした。
視覚障害者でもある八汐さんも盲導犬と一緒に出演。素晴らしい歌も聞かせてくれました。
このお二人は千葉市建設コンサルタント協会の10周年でピアノ演奏をしてくれました。お二人とも声楽課出身者ですので歌も上手でしたよ。
このアロハの方が有名テインパニストの有賀先生です。
最後にセラピスト協の皆様全員で「ふるさと」を歌っていただけました。
そして会場と舞台のかたがたが会場一つになって、「ふるさと」を歌いました。
会場の外には、売店もあり、ブルーべりージャムや自分達で作った手縫いの袋なども販売されていました。
このブルーベリーは筆者地元の馬来田で栽培されている一粒舎の「くらり」さん自家製のものです。
また来年も楽しみですね。皆様もこれからも頑張って下さい。
たまたま私の親戚の皆さんとも思いもかけずお会いできました。ついでに記念写真。
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ワイワイコンサート盛会でよかったですね。身近な方々の御活躍は素晴らしいものだと思います。
障害者の方々へのミュージックセラピーはキット効果抜群なのでしょうね。
動物は勿論、植物にもクラッシク等の良い音楽を聞かせると綺麗な花を咲かせるといいますし、
美味しい実を実らせると聞きます。
モーツアルトと他のジャンルの音楽を聞かせて比べるとその差があらわれるそうです。
胎児にも胎教として良い音楽を聞かせると良いのですよね。
ミュージックセラピスト協会はとても素敵な会だと思います。
今後のご活躍をお祈りいたします。
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う-ん!
君津って。馬来田って。何でしょうか、この力は。
自然、躍動感、愛情、食べ物、伝統、音楽、のむさん。
いっぱいいいものがそろっている。
絶対住みたい田舎のひとつでしょう。
これから、ふきのとう、たけのこ、たらのめ、せり、
もう、最高。
また、楽しみが増えました。ふふふ。
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このようなホールでのイベントを見るにつけ、自分たちも音楽隊の裏方で色々走りまわっていた過去を思い出さずにはいられません。
特に、貴兄の盟友でもある松ヶ丘の先生は、ステージ上でタクトを振るスポットライトの中心人物でありながらも、舞台裏の人間への気の遣いようは楽団員への数倍強く、「そこまで気を使わなくても大丈夫だから…」とコチラも口癖のように返していたのがつい昨日のように思い出されます。最近ご無沙汰してますので、お逢いする機会がありましたら、宜しく仰ってください。
障害者と音楽…という問題は、僕の友であるT君が生涯を通じて実践されてます。
私が住んでいる栃木の田舎でも音楽が縁でワイワイやる仲間がおりましたが、皆さんトシを召されて、ちょっと寂しくなってきました。それでも、場末のスナックで懐かしのフォークソングをがなったり、朽ちかけたステージにギター持ち込んでうなったり…色々あります。
僕らの場合は、カブに入ったばかりの頃に、ギターのお兄さんと歌のお姉さんのまわりで、目を輝かせていたのがルーツなのかもしれませんね~。