SL蒸気機関車C61蘇我駅で発見。

内房線(蘇我駅~木更津)、久留里線(木更津~久留里)は1912年に始めて開通しました。その開通100周年記念事業の一環として、2月10・11・12日の3日間千葉港駅/木更津駅間を1日1往復をするそうです。走る列車はこのC61の蒸気機関車だそうです。
私の事務所は蘇我駅徒歩1分の所にありますが、たまたま今日2月3日仕事をしていたら蒸気機関車の汽笛の音がしたので、事務所のある6階から見たら蒸気機関車が蘇我駅に停車していました。あわててカメラを持ち駅に行き写真を撮りました。どうも本番に向けてのテスト走行のようでした。
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我が事務所の最寄り駅です。
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いやとても懐かしい光景です。
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筆者がまだ小学生のころ、千葉市松ヶ丘に住んでいました。休みのたびに父の実家馬来田(現在筆者の住まい)に行きました。当時国鉄千葉駅は現在の東千葉駅の所にあり、0番線というのがあり、それは房総東線、1番線が房総西線といわれていました。
そして筆者はよく房総西線で木更津まで行き、久留里線に乗り換え馬来田駅まで行ったものです。当時は蒸気機関車と気動車が走っていました。
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千葉駅乗り換え階段の1・2番線ホームから3・4番線ホームへの移動通路。確か2番線だか3番線が総武線の電車のホームでした。(省線)チョコレート色の電車が走っていました。4番線が総武本線・成田線だったと思います。
1番線の階段通路のしたに、立ち食いそば屋があって確か1杯天ぷらそば10円、卵1個いれて15円だったかな?当時それが美味しくて楽しみでした。
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2012年は100周年記念イベントが満載
JR東日本千葉支社は、内房線(蘇我~木更津間)・久留里線(木更津~久留里間)の開業100周年を記念し、「内房線・久留里線開業100周年記念」ラッピングトレインと、「SL内房100周年記念号」の運行、さらに記念イベントを行うと発表しました。
内房線と久留里線は、1912年(明治45年・大正元年)に開業。2012年に開業100周年を迎えることから、JR東日本千葉支社では、様々なイベントを企画しています。
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いろいろな思い出が残る蒸気機関車です。
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そういえば大学1年生のころ(昭和42年)両国駅から夕方5時過ぎに房総東線・房総西線・総武本線の3本の列車が下のホームから発車していて、ゆっくりでしたが千葉駅までノンストップだったので、学校の帰りに利用したのを思いだしました。あれから44年が経ちますね。人生早いものだなと、何故か思いました。皆さんも思い出しませんか?
更にもう一つ。
曽祖父が久留里線が開業する前、当時県会議員をしていて、久留里線誘致に東奔西走していたとの事が地元の歴史書だったか?議員名鑑だったかに掲載されていました。

巣鴨とげぬき地蔵初詣。

1月20日東京巣鴨にあるとげ抜き地蔵尊に初詣に行きました。某石油会社の仲の好い同期3人と昭和49年から55年まで本社にいた頃の女性の同期とその仲間と半年振りに新年会を兼ねて行きました。筆者にとっても名前は知っていましたがかつて行った事がない場所でしたのでとても楽しみにしていました。しかし当日は35日?も雨が降らなかったのに残念ながら雨に降られとても寒い初詣となりました。巣鴨駅を降りて一路巣鴨商店街へ。
商店街の入り口に江戸六地蔵尊の一つ、真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺というお寺がありました。
ここはかつて中仙道の玄関口だったのですね。
歴史探訪会に所属するOさんの解説をここで聞きました。なるほどという感じです。
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江戸六地蔵・・・江戸深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706年)に発願し江戸市中から広く寄進者を得て、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を造立した。病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。
鋳造は神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正儀により、像高はいずれも270cm前後である。造立時には鍍金が施されていた(東禅寺の第二番は弁柄色の漆)が、現在では金箔の痕跡をわずかに残すだけとなっている。それぞれの像内には小型の銅造地蔵菩薩坐像や寄進者名簿などが納められていた。また、像や蓮台には寄進者の名前が刻まれており、寄進者は合計すると72000名を越える。
江東区永代寺の第六番は明治元年(1868年)の神仏分離令による廃仏毀釈により、旧永代寺が廃寺になり取り壊された。現存する第一番から第五番までは、すべて東京都指定有形文化財に指定されている。
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江戸時代5街道があり東海道、中仙道、奥州道(日光道)、水戸街道、甲州街道、とプラス千葉街道の江戸の入り口に地蔵尊が建てられたそうです。この碑に記されています。これとは別にとげぬき地蔵はありました。
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かつては芭蕉もこの地をとおり一句詠んだようです。
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その碑がありました。
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しかし町が近代化しすぎてお寺もかつての面影はありませんでした。そして有名な巣鴨商店街へ。雨降りでしかも夕方なので人影もまばらでした。Sさんにモデルになってもらい記念撮影。
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さすが巣鴨とげぬき地蔵尊のある商店街はお年寄りの銀座と言われるだけあってやはりそんな感じのするお店屋さんが多いです。まあ私達も既に還暦を過ぎた仲間達だから年代相応と言えるのかな?商店街に入るとすぐスガモンのお尻のキャラクターがありました。これはとても柔らかくて気持ちが良いです。
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説明書きもありました。
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しばらく行くととげぬき地蔵尊のあるお寺に着きました。正式には萬頂山高岩寺という曹洞宗のお寺の境内にある地蔵様でした。
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山門です。といっても今では都会のお寺の玄関と言う感じでした。お寺の本堂は立派ですが境内の広さはあまり無くチョット想定外でした。
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これがかの有名なとげぬき地蔵尊でした。私もお水をかけて頭・腰など自分の悪いところを雑巾で地蔵様を洗ってきました。昔はたわしで洗っていたようです。ごりやくはあるかな?
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高岩寺の全景です。
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そして有名な赤いパンツ屋さんがありました。このパンツをはくと元気になるそうです。
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品定めをする女性達。
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今回参加者の唯一の集合写真。おいおい誰かさん何をしてるの?
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やはり古くからの町なので至るところに、神社・お寺がりますね。ここは猿田彦神社です。千葉県にも銚子の手前に大きな猿田彦神社がありますね。
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そして商店街を抜けるとそこには都内で唯一残っている都電荒川線の庚申塚駅がありました。
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懐かしい電車です。筆者が大学時代にも早稲田から三ノ輪駅を運行していました。今は綺麗な電車になっています。古き東京を残す面影があります。オールウェイズ夕日の三丁目にも出てきそうな雰囲気のする町です。
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申塚駅のホームにあるこの焼き鳥やさん。Oさんが予約をしてくれて、このお店に入り冷え切った体を暖めました。
その前に時間が早すぎて隣の甘味屋さんにはいりおはぎと熱いお茶を飲みました。因みにおはぎセット(1個)300円でした。
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ということで楽しく旧交をを暖めました。
ところで巣鴨という名前のいわれを知っていますか?Oさんにその説明を聞きました。・・・・・・?
是非一度お天気のよい日にブラリ行ったら楽しいと思います。
とげぬき地蔵の由来
曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移りました。明治24年、区画整備のため、当地(北豊島郡巣鴨町)に移転し、今日に至ります。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊です。
_正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。一人の男の子を出産して後重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。姉も25歳で亡くなりました。」といいだすしまつでありました。田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。
ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。
_田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。田付氏は持っていた2枚を与えました。正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい。」といって、一枚を水で飲ませました。すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗っていると、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたといいます。
こちらは、この田付又四郎氏が享保13年(1728年)7月17日、自ら記して、高岩寺に献納された霊験記の一部です。
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わいわいコンサートin君津お知らせ

筆者の叔母(父の妹)がNPO法人 日本ミュージックセラピスト協会の理事長をしています。昨年正式に設立許可されたそうですが、要は音楽を通して障害者や老人達のお世話をする協会のようです。(音楽療法士)
今年で3回目のコンサートが2月5日(日)14:00~ 君津市民文化ホールで開催されます。
関心のある方は是非お出でください。昨年筆者は80歳過ぎの別の叔母(父方・母方)を二人連れて行きました。結構勉強になりましたし、叔母達も喜んでくれましたので、この場を借りてご案内します。このミュージックセラピストの会員の魔女マジョさん達とも、叔母を通じてお友達になりました。
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当日は千葉市からもボーイスカウト千葉1団の指導者・スカウト達も応援に行きます。
当日の参加団体の紹介もあります。
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馬来田の万葉碑の里・散策路

木更津の奥座敷と言われるわが町馬来田は歴史的には古くからあったようです。万葉集の中にもうまぐたとしてうたわれた短歌が残されています。地元の万葉の碑を建立する会・万葉集を学ぶ会が、6箇所にそれらの碑を作りました。今ではこの碑を巡る散策路があり、多くの人々が訪れ、田舎の田園風景の中自然と共に楽しんでいます。
筆者も11月5日(土)一人で歩いて見ました。周遊して5km約2時間程度でした。馬来田駅にはそのパンフレットがあります。
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JR馬来田駅の前にまず一つ目の碑があります。
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この歌の説明書きもあります。
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駅を出て久留里街道(旧)を横切り進みます。左手に公民館、さらに冨来田中学校、ゆるやかな坂を上がって馬来田小学校、孫の台農協倉庫、筆者の自宅を左手に見ながら、下り坂に小さなブルーベリー園(まだ2年目で開園できませんが)この地域のブルーベリー園の看板があります。(駅から約1km・15分)
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坂を下って、400m位行くと左側に妙泉寺入り口につきます。そこを左折し妙泉寺方向に入ります。
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この妙泉寺も古く、甲斐武田氏の一族がこの地を治める為に真里谷城を築きましたが、その武田一族の菩提寺であるようです。由来の書いた看板があります。
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小さな小川(武田川)を渡ると正面に妙泉寺の山門が見えてきます。
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山門の左側に二つ目の碑があります。
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この歌は地元の歌では無いようです。
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作者は山上億良と有ります。
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妙泉寺をお参りしました。(曹洞宗)お寺に「手のひら」寺便りがありました。その中になるほどなと思う言葉がありました。
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愚痴が増えると 友達が減ってくる  何となくうなずけてしまいませんか?
お寺でユーターンして小川の橋まで戻り、小川沿いに右折します。100mくらい行くと三つ目の碑が有りました。
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右手に有りました。
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どうもこの歌も山辺赤人とありますから地元の歌ではないようです。
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ココで一休みが出来ますね。
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さらにこれからは田んぼのあぜ道を「いっせんぼく」方面に歩きます。何となく「うさぎおいし かの山」なんて口ずさんでしまいました。
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400mくらい行くといっせんぼくの入り口のところに4っ目の碑が有りました。
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この歌も大伴家持とあります。
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万葉の歌ですね。
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ここからいっせんぼくへは700mくらいありますが、今回はパスします。ぜひこられる方にはお勧めします。
さて、武田川の小さな橋(まち原橋)をわたりさらに川沿いに歩きます。川もだんだん広くなり堰の手前に5つ目の碑があります。
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これは馬来田の事を詠んだ歌ですね。どうも平安時代よりまえに、この地から九州の防人として派遣された人が地元を想い詠んだ歌のようです。
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さらに下流に向かうと堰に出ます。川はココで二つに分かれます。IMGP2943.jpg
支流の駅方面に向かい橋を左に渡ると最後6つ目の碑が道路際にあります。ここは唯一ゆっくりとお茶が飲める「はんの木」という休憩所があります。コーヒー・ケーキで一休みする事をお勧めします。
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望陀郡と有りますが、昔この地域はそのように呼ばれていました、
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ここから駅までは5分と掛かりません。天気の好い日に一度歩いてみませんか?ありがとうございました。
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花の折り紙展in Hotel Okura (上総)

10月10日筆者の友人で折り紙の先生をしているKTさんの誘いをうけ、かずさアカデミアパークにあるホテル オークラに花の折り紙展をのぞいて見ました。
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受付です。ギャラリーホールでしたが位置的にかなり離れていて会場を探すのに一苦労でした。折角の素敵な作品なのでもう少し好い位置ならより多くの人に見てもらえるのにと思いました。
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お花も折り紙でこんな素晴らしい作品が出来るのですね?感心しました。
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木更津の名物「証誠寺のタヌキ」の作品も。
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他にもいろいろな作品が。
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なでしこジャパンのタイトルの作品もありました。
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車の中で使ったら良いという消臭剤の入った素敵なブーケもありました。
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Tさんに一つ作品を頂き早速車に飾りましたもっと多くの人が見てくれると良いな思いました。KTさんありがとう。

馬来田の秋祭り

今年もにぎやかに秋祭りが10月3日馬来田地域全域で開催されました。昔はまだ農業が地元産業が中心だった頃、お祭は稲刈りが終わった9月29日と決まっていました。筆者が子どもだった頃はそうだったと思います。当時は我が孫の台地区にはお神輿は有りませんでした。平成63年40歳で地元に帰ってきたときには既にお神輿もありました。またお祭の時期も農業中心から勤め人も多くなり世の中も変わり、お祭の時期も9月29日に実施する地区・またその前後の日曜日とする地区も出てきました。その後各地区の有志が相談し、同じ日にお祭を地域一斉に実施することになりました。
我が孫の台部落(約180世帯)の八幡神社は、新しく移住されてきた人々も多く組織も従来の地元氏子制度から、3年前くらいから地区の神社として地区の町内会で管理・運営することになりました。(資産も宮元の所用から、地区の資産として寄付されました)
今年は10月3日本祭、2日が宵祭となりました。地元の祭実行委員会が9月に入り本格的に準備を始め、また隣接する神社とも調整会議を行い、今年も地域あげてのお祭が実施できました。
まずは前日、八幡神社にてお神輿・山車に御霊移しの儀が、神主にお願いし行なわれました。このとき筆者はカメラを家に忘れ撮影が出来ませんでした。18頃宵祭の山車のみが、地区内をお囃子と太鼓を乗せて練り歩きました。
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これは昨年撮影したものです。今年は神社の隣に新しい山車小屋が建設されています。
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しばし出陣を待ちます。
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夜のとばりもおり暗くなり始めた頃、いよいよ農協倉庫から宵祭に向けて山車が出陣します。神輿は若手のかつぎ手がいない為今年は翌日に出陣・今日は公会堂で一夜を過ごします。
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各家々には地元で作った提灯と各家の提灯が彩りをそえ、お祭の雰囲気がかもし出されます。
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ココで地元で作成した提灯の一部を紹介します。表面には楽しい川柳が書かれています。
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自分でも感じるものが有りますね。
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なかなかユーモアにあふれた提灯ですね。これは我が地域だけのような気がします。
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こうした提灯が各メインの通りの家の前に祭礼実行委員会の方々が事前に準備し、山車出陣の前にローソクをつけて回ります。
そして宵祭は、我が地区の駅側に隣接する地区の神社 駅前の「諏訪神社」・茅野の「羽雄神社」との交流会がその地域の接点の近くにある中村医院(大先生は二人の総代の一人)の駐車場にて開催されます。3社合同でその時間帯に集まってきます。
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まず交流会開催にあたり地元八幡神社の総代の一人である筆者がご挨拶をしました。(昨年は大先生でした)
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その後各神社の得意の演技を交歓します。まずは昔は3村社の一つであった諏訪神社の勇壮なお諏訪太鼓の披露でした。日頃から練習をしている為かなかなか素晴らしい演技でした。
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そして三大村社の一つ「羽雄神社」の獅子舞の披露。
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お囃子の演奏。
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横に立てかけられた白板に歌詞が書かれていました。この由来は筆者には分かりません。後日尋ねて見たいと思います。
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地元の人もおおぜい集まります。
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最後に八幡神社のお囃子の演奏。(笛は主に女性達・太鼓は毎年夏休みが終わると地元の子ども達が、地元の先生から指導を受けこの日のために練習を毎日してきました)
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各神社にはどこでもそうだと思いますが独自のそろいのハッピがあります。
諏訪神社
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羽雄神社(白ハッピ)
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八幡神社
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こうして和やかな雰囲気の中で3社の交流会が行なわれ、お開き後各神社に戻ります。
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無事宵祭の行事を終えることが出来ました。その後孫の台公会堂で、明日の本祭を祈念して宴会が開かれました。婦人会の皆さん・そして実行委員会の皆さんが会場・食べ物の準備をして頂きました。
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いつもありがとうございます。
さて本祭の当日12:30に山車・お神輿がでて地元にはお祭ムードが盛り上がります。今年筆者は当日所用があり参加することが出来ませんでしたが、地元のO様から写真を頂きココに当日の様子を紹介させて頂きます。
まずは出発地農協倉庫前で、出陣式。鏡割りを祭礼実行委員会役員・区長・総代・孫心会の代表で行ないました。
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お神酒で乾杯を行い景気付けをしいざ出陣!!
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山車を引く子ども達も勢ぞろいです。この地域では一番数が多かったようです。
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神輿も元気良く町に繰り出します。今日は若い人たちも揃い威勢もよいです。
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続いて山車も繰り出します。
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我が家の前を通過するお神輿
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装いを代えてお囃子隊
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続いて山車も。
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この後、東側に隣接する宿地区の八坂神社、永井地区の子の神社の神輿・演技の交流が行なわれました。
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このように地元の人々が一つになって、盛大にお祭ができる事は素晴らしいことだと思います。特に都会の新興住宅やマンション住まいの人と人との関係が希薄になってきた世の中に、是非こうした田舎の暖かい心の交流が出来る行事が今後も永く継承されていく事は大事なことだと思います。

八幡神社 山車小屋移設・新築

地元木更津市馬来田の孫の台地区にある八幡神社は2年前に江戸時代に立て替えられた社殿を地元地域の皆さんのご協力により新築されました。元は1193年に(鎌倉幕府開府翌年)村の鎮守として建立されました。
この馬来田の村(旧)地域では一番古い神社です。(昭和初期に尋常小学校の教科書として使われた・馬来田村誌による)その後の歴史は良くわかりませんが江戸時代中期に建てられたものが今まで使われてきましたが、地元有志の皆さんが中心になって地域の住民の皆さんに声を掛けご協力を頂き装いも新たに建立されました。地域内の大工さん、土工関係の皆さん、金細工等のみなさんの協力を得て建設をされました。
その後、敷地内の整備・山車小屋についても、修復整備したほうが良いとの声があり再び地元の大工さんの力を借りてこのたびお祭の一週間前に完成いたしました。2011年9月25日完成披露とお祝いの会が開催されました。
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新しく移築・新築された山車小屋です。皆さんの協力の賜物です。
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また神社敷地内も、整備され境界まで綺麗に土留め整地され広くまた使い易い神社となりました。
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ココで2月にドンドン焼きも行なわれます。
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お披露目をする地元の皆さん
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これからも是非神社を大事に、また地域の鎮守様としてこの伝統を次の世代につないでいければ良いと願っています。やはり人間関係が希薄になってきたこの時代に神社を通して人の和が広がれば良いと思います。

早稲田の町と穴八幡

7月2日久しぶりにサークル(ボーイスカウト新宿2団)の団委員会と現役・OBのコンパがあり母校を訪問する機会を得ました。筆者は1967年から4年間大学に在学その後も何回も訪れていますが、穴八幡神社がある事は知っていましたが中には一度も入ったことがありませんでした。今回たまたま中学の仲間が穴八幡に行ってきたよという話を聞き、わざわざ千葉からお参り行くほどの神社かなと思い訪れて見ました。
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神社への階段
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この神社は徳川吉宗の時代流行った疱瘡の病気を治めるために流鏑馬を始めた場所なのだそうです。現在でもその伝統は残っているようです。全く知りませんでした。
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こんな立派な赤い山門がありました。
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そして大きな神社が鎮座していました。今思うと、当時新入生歓迎キャンプをこの境内でやったことがありました。そのとき筆者は参加していません。
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灯台もと暮らしでした。
そしてチョット懐かしいので通りを歩いて見ました。昔と全く様変わり。学校には行くがほとんど授業にも出ず夢中に励んだマージャン屋はほとんどありませんでした。何となく寂しい気がしました。やはり時代の流れを感じました。
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在学中は70年安保・沖縄返還闘争・学費値上げ反対闘争など学生運動が盛んな時期でした。2年生の時は学生運動家たちがバリケードを学内にはり、授業も出来ず学校が閉鎖になった事を思い出しました。民生(黄ヘル)・革マル(白ヘル)・社青同(青ヘル)・社学同(赤ヘル)など多くの派閥があり、よく学内でも内ゲバがあり、角棒が振り回されてけが人も多く出ていました。その際、大学創始者「大隈重信公」の銅像に青や赤のペンキが塗られ、一学生として腹を立てた記憶があります。でも今もしっかりと変わらぬ姿で立っていました。
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やはり学校のシンボルの講堂・時計台は今でもリフォームしていて当時と変わらない姿でそびえたっていました。
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やはり私達の心のふるさと我らが母校なのだと感じました。

君津の山中に英国ローズガーデンが?

筆者の住んでいる馬来田からさらに房総の中心部に、車で20分久留里から南方君津市小糸方面に山越えで入っていくと、その山中に英国風バラ園があるというので5月21日訪ねて見ました。小櫃川水系と小糸川水系の分水嶺を越えたあたりのまさに山の中にありました。途中案内板があり、その入り口には地元人が交通整理のため立っていました。なんと駐車場が満員で待ちのため車が7台くらい待っていました。
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幹線の入り口の道路反対側は竹林です。
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幹線道路から150M中に入ったところに駐車場。道路が狭い為一方通行です。
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30分ほど待って入ってみると英国風の看板がありました。
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そして駐車場に車をおいて、庭園の入り口へ。
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確かに英国風の感じはしました。
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見た目は風です。でもやはり英国に駐在4年の経験からするとやはり風ですが本物とは違いました。
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中に入ってみるとその雰囲気はあります。直接経営者が、英国の品物・バラの苗を買いに行っているとのことでした。
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イギリスの品物がたくさん売り物として並んでいました。
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日本人にとっては珍しいものですね。でも値段は安くはありません。
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お茶も飲める雰囲気はあります。
カフエの会計で入場料5月から10月?700円チョット高い気がしたので入場はやめました。
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バラ園がありましたが、それほど規模は大きくなく咲いている花も今一かな?バラが見たければ京成バラ園のほうが見ごたえはありますかね?
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このピンクのバラのアップの写真は綺麗です。
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土日の天気がよい日はたくさんの来訪者はあるようです。
筆者としては、若干期待はずれの感はありますが、この房総の中央部にこんな施設があるなんてという意外性は感じられました。テレビ取材も入ったようでしばらく来訪者はあるのではと駐車係りの地元の叔父さんは言っていました。チョット寄るには面白いかも知れません。