昨日JR千葉駅を降りたら久留里線の旅フリー切符のポスターを目にしました。久留里線今年で満100年
12月には新車両キハ130に入れ替えが行われます。後一か月ちょっとで、現在運行している気動車も全車両入れかえられ消え去ります。是非このチャンスに消えゆく気動車に乗って旅をしませんか?10月7日は馬来田のコスモスフェステバルが行われます。ポスターの下の写真そして上は久留里城です。
現在運行されている気動車。
文化・歴史
今年も秋祭り
夏のキャンプ下見で信州へ。
スカウト千葉1団夏キャンプは8月3日から6日まで尾瀬片品村で実施する予定ですが、その下見のため関係指導者で下見に行きました。今回の宿泊地が北軽井沢なので、初日は小諸・上田城の城めぐりをして翌日、沼田経由片品村に向かいました。
まずは小諸城(懐古園)に立ち寄りました。
学生時代に来たことがあります。それ以来かな?
最初の写真は三の門で大手門は線路の反対側にあるのだそうです。
女性指導者の二人・
学生時代に来た時に草笛を吹くおじいさんがいましたが、像になってその草笛の音楽が流れていました。
途中昼食。信州といえば当然そばですが、くるみそばを食べました。
味は今一かな?食後北国街道海野縮の街並みを見学。
そして上田城へ。1582年真田昌幸が築城。徳川の大軍を2回も退けた城として有名。
場内でアメリカの若者2人と遭遇。二人ともイーグルスカウトだったそうで大統領のサインした証明書を見せてくれた。久しぶりに英語を話した。そして夕食の材料を買いものをして、菅平方面から北軽井沢へ移動。。
三井アウトレットパーク・木更津がオープン
木更津市金田地区(アクアラインの木更津岸から1km)に平成24年4月13日(金)に三井アウトレットパークがオープンしました。第1期ですが店舗面積約28.000平米、171店舗とかなり大きい施設です。都心や神奈川県、羽田空港などからもアクセスが便利です。さっそくオープン1週間後に訪れてみました。
最終的には店舗面積40.000平米と日本最大のアウトレット施設への拡張を予定しているそうです。
さすがにまだ土地区画整理中で、外観はまだこんなものかという感じでした。駐車場のスペースもまだまだゆとりありという感じでした。
導入路まだ開発中という感じ。
駐車場はかなり広いスペース。
バスの停車場もひろく多方面からアクセス可能です
現在の全体図。
「BOSO CITY RESORT」をコンセプトにリゾート感・解放感あふれる空間です。
フードコートも600席あるそうですが昼時は座る席を確保するのが大変でした。レストランはこのほかにはまだありません。したがって落ち着いた食事は期待できません。
有名ブランド店は多く入っていますが、地元の人々にとっては高値感があって今一かな??
狙っている客層がやはり羽田空港の乗降客の中国・韓国などの観光客なので仕方がないとは思います。
はじめて訪れた筆者にとっては、ワイン・酒類、一般雑貨・食品、電気製品、カメラなど、また落ち着いて食事ができる場所、東京湾を一望できる観覧車や子供の遊園地などがあればより楽しい施設になると期待しています。
地元の人に話をきいてみたら、地元にはお金は落ちないでしょうが、税金が入ることと働く場が増えたとのことでした。今後の拡張に多いに期待したいところです。
いすみ鉄道(菜の花列車・ムーミン列車)紹介
4月8日いすみ鉄道の中心となる駅大多喜に行き、いすみ鉄道に乗りました。最近テレビやマスコミで宣伝され有名になってきました。我が木更津の奥座敷は小櫃川の流域にありますが、一山北側に、養老川(東京湾に流れる)・夷隅川(太平洋に流れる)の流域広がる地域です。室町時代(1400年代)房総の拠点として甲斐の武田信玄を5代遡る武田信長という人がここ馬来田の地に真里谷城を築きました。その支城として万木城・大多喜城が開かれたようです。もともとこのいすみ鉄道は外房の大原駅から大多喜まで、後に上総中野駅まで明治44年に軽便鉄道として運行が開始されました。昭和5年外房の大原駅と内房の木更津駅をつなぐ構想ができ、その名を国鉄木原線と名付けられました。その構想は昭和9年には断念されましたが、木原線という名は昭和63年まで続きました。昭和62年に第3セクターとして、いすみ鉄道と名前を変えて現在に至っています。赤字路線のため、社長を公募して新しいアイデアのもと、地元沿線の人々が協力して活性化が計られました。今では久留里線はJRとして、千葉県では唯一残るデイゼルカーですが、第3セクターとして活性化したいすみ鉄道のほうが世の中に名が知れるようになりました。4月21日テレビでもぶらり旅で紹介されていました。
列車は普段は1両のワンマン列車ですが(デイゼルカー)、休日になると来訪者が多く2両連結となります。
色も菜の花にちなんで黄色と緑の色で統一されました。今年から脱サラをして、授業料を自己負担して新たに気動車の運転手に3人合格されて、現場に入ったとの新聞報道で知りました。
そしてムーミンのキャラクターを使用し各列車の前にそのキャラクターのマークを掲げていてとても可愛いです。
大多喜駅から国吉駅までを往復しました。(片道320円でした)
沿線はちょうど菜の花がきれいに咲いていました。まさに菜の花列車です。
大多喜駅に戻って散策。大多喜の町は、徳川家康の家臣四天王のひとりと言われた本多忠勝が築いた10万石の城下町です。今ででもその町並みが残っています。その雰囲気を残したとんかつの店「有家」は有名で非常に分厚く柔らかいとんかつを食べさせてくれます。
すみません。また写真を撮る前に手を付けてしまいました。これは家老とんかつ定食です。大名とんかつもあります。とても美味しくて手ごろなお値段です。
このお店の前にお蕎麦屋さんがあるのですが、この日はもう売り切れでした。こちらのそばも有名です。
腹ごしらえをして、大多喜城へ歩きました。
おりしも桜も満開でした。
坂を登って大多喜城へ。もちろん再建されたお城ですが今は資料館となっています。
桜に囲まれた大多喜城は美しい。
大多喜城に入って鎧兜をつけてみました。かなり重い兜でした。
最近昔の列車を新たに購入し、観光用急行列車として1日何往復かしています。
内房線の五井駅から上総中野駅でいすみ鉄道に接続します。是非一度訪れてみたら良いと思います。ちなみに筆者は大多喜駅の近くの町営駐車場に車を止めて歩いてみました。
房総の新鮮地魚「ばんや」
内房 保田の「ばんや」
3月25日(日)久しぶりの好天。滅多にできない孫を含めた5人で家族ドライブ。息子のアイデアで鋸山に行きました。朝飯は食べずに自宅を10時前に出発。一時間半ちょっとで保田の「ばんや」に到着。まだ時間は11時前。
この時点で11時客が殺到。でもテーブルはたくさんあるので、受付待ちです。
海産物が安く売っています。
房総は伊勢海老の産地
席に座って注文したら安くておいしい海の幸料理。いくらいっぱいのいくら丼。900円。
地魚のお刺身定食1200円。6種
せいごの煮魚定食。800円。味付けはなかなかでとても美味しかったですよ。
イカのかき揚げ。800円。量がとても多くて食べきれません。皆でシェアするとよいです。
12時前に食事を終えて鋸山に行きました。
昨年11月の検診で血糖値ヘモグロビンA1Cが8.0。危険な状態。医者に怒られそれから毎日1万歩に挑戦して5か月たちました。雨の日もあるので1週間7万歩、一月30万歩以上と決めて歩いています。その結果6.0まで落ちました。
おかげで鋸山もすいすい歩けました。家族はロープウエイで。
是非いちど「ばんや」を訪ねてたらいかがでしょうか?
SL蒸気機関車C61内房線・久留里線開通100周年号運行初日
JR内房線・久留里線開通100周年記念SL蒸気機関車C61は高崎機関区で保存されていたそうですが、今回の記念走行(2月10日~12日千葉みなと駅・木更津駅間1日一往復)の為2月3日高崎から千葉まで時速20kmで回送されたそうです。2月3日に蘇我駅にその勇姿を表わしてから毎日試験運転をしていました。今日その初日で記念のマークを機関車の前に取り付け、お客を乗せた客車を引き蘇我駅を通過しました。
蘇我駅1番線に到着した列車。
しばらく蘇我駅に停車していました。
現在運行している電車と並びました。
そして木更津駅に向けて出発進行!汽笛と鳴らし蒸気を噴出し走りはじめました。
昔懐かしいチョコレート色の客車を引いています。
列車の横には運行駅名が入った表示版があり、お客もおおぜい乗せていました。
やはり蒸機関車は思い出がありますね。天気も良く多くのカメラマン達がその姿をとらえようと押しかけていました。
わいわいコンサート in 君津 参加報告
2月5日(日)午後から君津市文化ホールにおいて、第3回わいわいコンサートが開催されました。主催者の中心的推進団体はNPO法人日本ミュージックセラピスト協会のメンバーの皆様です。様々な音楽を通して障害を抱えた人たちや老人の方々にその楽しさを感じてもらい、少しでも元気になってもらうこと狙いのようです。前回筆者の叔母(実行委員長、協会理事長)に誘われ見学に行き多くの皆様と新しい仲間の輪が広がりました。今回は是非ボーイスカウトのメンバーにも、参加者として出演して欲しいとの要請もあり、ボーイスカウト千葉1団からスカウト・指導者計13人が参加しました。
開演は午後2時からでしたが、私達はわいわいTomorrow合唱団の一員として参加するたことになりリハーサルのため12:30~リーハサルから参加しました。唄う曲は2曲「Tomorrow]「翼を下さい」でした。
いきなり舞台に上がってのリーハサルでスカウト達も緊張し中々大きな声で歌えませんでした。
リハーサルが終わって控え室で腹こしらえ。
お腹がいっぱいになったところで、表に出て皆で何度も練習しました。そのせいかだんだん声が大きく出せるようになってきました。そして本番にそなえます。
開演前に笠嶋実行委員長と記念撮影。
いよいよ開演です。菊津会の皆さんの民謡でスタートしました。
障害者のお世話をするお友達となった魔女さん(?)。ズーっとつききりでお世話していました。頭が下がる思いです。
だんだんその場に慣れてくるスカウト達。
続いてグループタイガー(障害児者・健常者が共に、楽しく歌い踊り演奏する会で月1回君津生涯学習センターで稽古をしています)の皆さんが舞台に上がり皆で「花笠音頭」を歌いました。
メンバーのフルート演奏です。素敵な音色聴かせて頂きました。
その後「かのん」の皆さんを中心に多くの参加者舞台にあがり「手のひらに太陽を」「散歩」「マルマルモリモリ」
など計6曲をそれぞれの踊りやボンボンをもって客席の皆さんと一つになって唄いました。
招待者の中には多くの施設の皆さん「たびだちの村」「ふた場園」「一粒舎」など7の施設から参加して音楽を楽しんでいました。
いよいよ「Tomorrow]合唱団の出番です。「Tomorrow」「翼をください」の2曲です。
合唱団のメンバーは菊津会、ボーイスカウト、木更津高専の生徒、手話の皆さんなどで構成されました。
2曲目から普段合唱団で活動しスカウト活動の中でも歌の指導するS副長に前面にでてもらいリード、大きな声で歌うことが出来ました。
そこで1部終了し参加者お役目を果たしホット一息といった感じです。
休憩を挟んで第2部が始まりました。サキソホンのアンサンブルです。サザエさんの曲も流れました。
リトミック(小さな子ども達によるタンバリンを鳴らしながら音楽です・・リトル・ミュージックの略かな?)
その後木更津高等専門学校の軽音楽部バンドののみなさんの演奏や一粒舎の皆さんのハンドベルの演奏もありました・。そして「皆さんで歌いましょう!」で冬景色・おぼろ月夜、大きなフル時計・上を向いて歩こうなどメンバーのリードにより大合唱をしました。このかたもお友達です。(ミュージックセラピスト協会のメンバー)
舞台には音楽を手話で伝える皆さんもお手伝いをしてくれました。
バイオリン演奏に続きいよいよフィナーレ。実行委員の皆さん全員による「ふるさと」の合唱を聞かせて頂きました。さすが専門家の皆さんきっちりハモッテいてとても素敵でした。
熱傷する魔女さん、I飛さんたちです。
お開きにあたり実行委員長よりお礼のご挨拶がありました。皆さん楽しんで頂けましたか?
昨年はしまりの無い終わり方でしたので、3本締めで幕を閉じました。
音楽通じて様々な楽しみ方ができる事、多くの仲間達が増えること、障害児者・健常者共に楽しめること、人と人との絆の大切さを感じることの出来きた「わいわいコンサート」でした。実施に至るまで多くのご苦労があった事と思います。実行委員の皆様お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
どんど焼き(節分)
わが地元木更津市馬来田周辺ではどんど焼きは2月3日に行われています。昔の馬来田村の地域では8箇所で行なわれているそうです。孫の台八幡神社でも例年のとおり行なわれました。
そもそも「どんど焼き」とは小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。神事から始まったのではありましょうが、現在では宗教的意味あいは少なくなっています。
一般的には、田んぼや空き地に、長い竹(おんべ)や木、藁(わら)、茅(かや)、杉の葉などで作ったやぐらや小屋(どんどや)を組み、正月飾り、書き初めで飾り付けをしたのちそれを燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるという内容で1月15日前後に各地で行われます。
我が地元では1月15日ではなく、節分の日つまり2月3日に節分祭を兼ねて実施しています。
地元の青年会(孫心会)、婦人会、役員の皆さんが中心となってこの行事が行なわれています。
トン汁・おでん・焼き鳥・お餅・甘酒などが振舞われます。
地元区長の開会の挨拶
昨年山車の倉庫が移築された為、神社前の広場が広くなりました。そこで餅つきも行なわれました。
どんど焼きの語源
「どんど焼き」の語源については、火が燃えるのを「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃(はや)し立てたことから、その囃し言葉が訛(なま)ったのだとか、どんどん燃える様子からそれらの名称がついたのだとかいわれています。
「どんど焼き」の別称として「左義長(さぎちょう)」という呼び名がありますが、これがどんど焼きの起源とも関わっているといわれています。左義長(三毬杖)は、正月十五日、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡いはやしながらこれを焼いたという行事です。そが民間に伝わりどんど焼きとなったといわれています。しかしこれ以外の説もあります。
でも地元では節分と併せて実施しているのですが、地元の人たちが協力し合って行なうこの行事は素晴らしいですね。
火は穢れを浄め、新しい命を生み出します。竹の爆ぜる音は災いを退け、高く 上る煙に乗って正月の神様が帰ります。どんど焼きは、祓い清めという役割と、正月に 浮かれた人々を現実世界に戻す、二つの役割を担った行事とおもわれます。
この火にあたると若返るとか、焼いた団子を食べると病気をしない・虫歯にならないとかいわれています。
また、燃やした書初(かきぞめ)の紙が高く舞い上がると習字が上手になり勉強もできるようになるなどともいわれています。
昨年は東日本大地震・夏から秋にかけての異常気象による大雨などの自然災害、さらに今冬は裏日本を中心に例年に無い大雪そして被害。今年は好い年になって欲しいと願うばかりです。